にんげんはかんがえる葭である

よしもとみおりのブログ

涙腺の弱い日

2020年1月も終わりに差し掛かっている。相変わらず文章は完成が遅く、一歩進んでは二歩下がりそうな勢いだが、それをなんとか、と、食い止めている。

27歳になった。去年の10月中旬から自分にとって大きな変化の時期がやってきた。その変化を流動的な一過性のものにしない、定着させる、という作業を誕生日前後までやっていた。

誕生日がきてから一週間がたち、ようやくちょっと固まってきた、という感じである。とはいっても、食べた過ぎて早めに冷蔵庫にから出してしまったフルーチェ程度のかたまりぐあいなので、もう少しだけ寝かしたいと思っている。

じっくりとわたしの中でかたまりきるのを待つ。

さて1月17日生まれのわたしにとって、誕生日が来るまではまだ年始じゃない。だから、誕生日が来て一週間が経った今日の気分は、七草の節句。お正月も終わり、そろそろ動き出すか、と言った感じ。

今感じていることは、胸に広がるじんわりとしたしあわせについて。こういった気持ちはすぐに忘れてしまうから、読み返して思い出せるように書き留めておく。一年の始まりがこんなふうでよかったな。わたしはすごくしあわせだな。

できなかったことが少しずつできるようになっていく。ひとつひとつを踏みしめてゆく。他の誰でもないわたしのために。

そして、新しく考えていることは、誰かのために頑張ってみたいと思っていること。誰か、というとき、それは顔のないぼんやりした人ではなく、必ずはっきりとその目までわかるぐらい思い浮かぶ「人」がいる。わたしは、その人のために頑張りたい。それはつまり、その人に認められたいとか愛されたいとかいうのではなく、その人に届くように、その人と同じような境遇の人に届くように、がんばりたいのだ。

わたしを救うためにやっていた創作から、わたしでない人を救うためにやっていた創作へと、ようやく回帰しつつある。これは回帰でありながら、新しい一歩でもある。

わたしは絶対にできる。絶対にやれる。