時をかけない少女
自分のことを28才だと思って生活しているので、ふとしたタイミングにまだ26才だったのか!と気が付いて嬉しくなる。
現在の生活を一言で表せば「余生」だ。
この言葉を選んだのは、わたしの主戦場であった東京を遠く離れ、誰とも会わない生活をしていることを揶揄したくて……ではない。
あんなに激しく抑えようの無かった感情の波が、ほぼ無くなったからだ。
長い間、わたしはタイムトラベラーであった。
肉体が現在を生きていても、わたしの精神は常に過去を生きていた。過去は常にわたしを取り巻き、ふとした瞬間にこぼれ出た。
ときに涙として。ときに震えとして。ときに呻めきとして。
こぼれ落ちた過去は流れることを止められなかった。大きな渦の中、わたしの体と心は乖離していた。
その頃のわたしは自分の肉体感覚をこう記していた。
自分の中にもう一つ違う時間が流れていると気がついたのは、23歳の時だ。それまでは、急に襲い来る感情をなんと名付ければ良いのかわからなかった。悲しみは時と場所を選ばなかった。一人で歩いている時、誰かと笑っている時、映画を見ている時、夜眠る前。どれほど「今」が満ちていても、御構い無しに胸を横切る。ある時、これは「悲しみ」か?と考えた。けれどその形容詞で表すには、その感情は一瞬で、残響ばかりが大きいのだった。
わたしは今、穏やかに毎日を過ごしている。
毎朝起きて朝食をつくり、犬と散歩をし、洗濯を干し、掃除をして、少し眠り、カフェへ行き、文章を書く。
そんな生活を送っている。
今、わたしの体は現在にあり、精神も現在にある。
海辺を歩きながら、ここには、引き裂かれていない「わたし」がいると感じる。
完全な、持続した「わたし」。
わたしは「今」を生きている。
幸福だ。人から求められることで与えられたり、目標を達成することで勝ち得たり、そういった類の幸福とは違う種類の幸福だ。変えようのない幸福だ。
噛みしめている。
そろそろ書き上げなくてはいけないものがたくさんにあるので、リハビリとしてこの文章をあげる。幸福がいつまでも幸福でありますように。
よしもとみおり