ディズニーランドに住もうと思うの
普通の幸せにケチつけるのが仕事、と、大森靖子は歌った。
2013年・春のことだ。
その歌を2015年、埼玉のカラオケボックスで朝まで歌っていたわたしたちは26才になった。
そしてディズニーランドへ来た。
正確にはシーへ。
初めてのシー。初めての、二人でのディズニー。
Instagramを開けば飽和しそうなほどありふれた出来事だ。
だけど今日という日に彼女とシーに行ったことは、わたしにとって、かけがえのない「終止符」となった。
青春という譜面に刻むピリオド。
ここはわたしのブログなので、前後関係はなく、突然語る。
少女都市というのはそもそもとくしまあさみちゃんを撮った写真を上げたtumblerのページタイトルだった。
大学の課題で一眼レフを支給されたわたしが、初めてまともに撮った写真の被写体が、彼女だった。
その後、色々あって劇団をはじめることになり、劇団名を「少女都市」に決めた。
そのロゴもまた彼女をモデルにつくってもらった。
つまり少女都市とは、とくしまあさみちゃんとの楽しかった日々の残り香から名付けられた劇団名だった。
あさみちゃんとの埼玉での日々は、なんというか青春だった。
大学三年生の終わりにあさみちゃんと仲良くならなければ、わたしの大学生活はもっと灰色だったようと思う。
あさみちゃんのおかげでまともに大学に行くようになり、あさみちゃんのおかげで卒業制作も作れた。
思い出すのは、二人で雪の埼玉を歩いたこと。お互いバイト帰りに終電でどちらかの家に行くのが日課だったこと。いなげやの見切れ品でつくってくれた美味しい料理。深夜に散歩するのは楽しいということ。大学の図書館で借りたDVD。アーバンギャルドの曲と、『田園に死す』の八千草薫。可愛いワンピース。可愛いメイク。自信の持ち方。
楽しいことをたくさん教えてくれた友達だった。
おかしいことに飲み込まれそうなわたしに、それっておかしいよと言ってくれる友達だった。
ディズニーシーの展示物に、カメラオブスキュラがあって、思わず卒業制作で出演した『東京ノート』を思い出してしまった。
「カメラオブスキュラ」がどのようなセリフでどのようなタイミングで登場したのか、わたしはもう覚えていない。
だけれど懐かしい響きを持ったその言葉に、ディズニーシーという場所で、予期せぬ再会した時に、わたしは埼玉のあの匂いを思い出した。
四年の歳月が経とうとしている。22才のわたしは26才になった。
先日終演した『光の祭典』には、『東京ノート』に一緒に出演した石渡さんと伊東ゴメスくんが来てくれた。
わたしにとって大切な作品を、大切な人たちに観てもらえて、本当に嬉しかった。
これから生きてくなかで、きっと大切な人たちは増えていく。その大切な人たち全員に、わたしの作品が届けられたらいいなと考えている。
そのための二年。そのための努力。
うんともっと頑張って、社会を変えられるような、エンパワメントできるような作品をつくっていきたい。
これは目標であり、約束だ。
◇
過去形ばかりではじまったが、将来へ向けての抱負まで語る、良い日記を書けた。
こんな日記を書けるぐらい、今日は大変良い日だった。