光の祭典 千秋楽直前によせて
人生を楽しく生きていくことに決めた。
誰のためでもなく、わたしのために。
◇
舞台『光の祭典』が終わる。
東京駆ける三公演が終わる。
今日、終わる。
14時にはじまり16時に終わる。
こまばアゴラ劇場にて。
◇
この作品は一年以上をかけて準備してきた作品だった。
一年前、こまばアゴラ劇場から電話がかかってきたとき、飛び上がったのをおぼえている。
電話切って、絶対に生きる、と心に決めた。
何があっても生きる。
こまばアゴラ劇場での千秋楽まで生きる。
交通事故に合わないように信号は守るし、電車のホームはなるべく内側を歩くし、できるだけ誰とも喧嘩しないし、渋谷の人混みは避ける。それになにより、二度と「あんな」恐ろしい目に遭わないように、気をつけて、気をつけて気をつけて気をつけて気をつけて気をつけて気をつけて気をつけて気をつけて、生きる。
けれど、悪意というのは、どれほどこちらが気をつけていても、不意に襲ってくるものである。
光の祭典は、わたしの人生において大きな意味を持つ作品だった。
書いているときは必死になるばかりで、それがわたしの人生にもたらす意味を考えたことは無かった。
けれど2年が経ち、三度の上演を経て振り返ってみると、おそらく少女都市というのは、光の祭典を上演するために生まれた劇団だったのだ。
つまりは、どうしようもない喪失からの、わたしの療養であり、回復であり、復活までの道筋を描くための場所と作品が、少女都市と光の祭典だった。
そしていま、その目的は遂げられようとしている。
東京駆ける三公演の一番の収穫は「劇作家のわたしが純然たる物語に還ってこれた」ということだと思っている。
人生における、喪ったものを取り戻す、という過程が最終段階に入ってきていると感じる。
なにもかも、復活の過程で出会った素晴らしい俳優たちのおかげである。ありがとう。
◇
まこと役 清瀬やえこさん
本当に来てくれてありがとう。見つけてくれてありがとう。あなたがいなければこの作品は出来上がりませんでした。いつわりのない情緒に溢れた姿があたらしい「まこと」像をつくってくれました。いつもわたしの想像を超えたところに居てくれました。大変だったことも多いと思うのですが、今日まで一緒にやってくれたことに、感謝の念しかありません。本当にありがとう。千秋楽まで、客席で楽しみにまことを見つめ続けます。
江上役 谷風作くん
初演の時、麻生役のキャスティングのために関西の演劇を見まくって、学生演劇祭で君を見つけられて、本当に良かったです。初演・再演・再々演、そして東京駆ける三公演を一緒につくってきてくれて、本当にありがとう。君の繊細さ、優しさ、そういったもので構成された新しい「江上」をつくれたこと、幸せに思います。これからたくさんの人に君が見つかりますように。
富田役 齋藤朱海さん
わたしの一番好きな役を君に任せて本当に良かったです。ひたむきに人を愛するさまを教えてくれてありがとう。無垢で清らかな姿は、わたしの中で新しい富田像を描くことができました。可愛いベイビーがもっともっと活躍することを楽しみにしています。
夢波役 中野亜美さん
向井坂良い子に引き続き、また少女都市に出てくれてありがとう。中野亜美がお稽古場で泣いたとき、あれが作品づくりのターニングポイントでした。わたしの弱さ、過去、そういったものを共有するタイミングをつくってくれてありがとう。
そしてどちらの座組でも、明るく可愛く座組を盛り上げてくれてありがとう。
中野亜美の愛らしさ、美しさ、それから礼儀正しさや、真面目さ。あなたが素晴らしい女の子だってことが、これからもよりたくさんの人に届くといいなと思っています。
麻生役 加藤広祐さん
少女都市の旗揚げから、『光の祭典』初演、そして間隔をあけて今回『光の祭典』再々演版に出演してくれて、わたしはとても嬉しかったです。とても美しい声を持っている君だけど、驚いたのは三年前よりも人間の情けなさを正面から表現できるようになっていたことです。かっこ悪い男こそ、一番かっこいいと、わたしは思います。
君とはすぐにこれからの話をしてしまうけれど、この先も一緒に作品をつくれたらと思っています。そしてもっともっとたくさんの人に、君の素晴らしさが見つかってしまいますように!
滝内役 宮川まきさん
来てくれて本当にありがとう。あなたの優しさに何度助けられたかわかりません。座組としても、個人としても、すごく救いでした。ぼんやりしてるんだけど、しっかりした一面もある、言葉にすると陳腐だけど、君が演じると一人の女性の二面性、そして成長を信じられる滝内になったと思います。これからもどうぞよろしくね。
藤原役 桑野晃輔さん
わたしの人生において、桑野さんに出演していただくことがとても大切だったんだな、と、二日目の夜に思いました。藤原、むつかしい役ですね。でも見てみたかったのです。わたしの目には確固たる男性性を持っているように見える桑野さんが、女性の痛みを引き受ける様子を。なんとなく、到達できたのかな、と思っています。最後まで楽しみに客席で見ています。
井上役 玉垣光彦さん
信頼できる年上の俳優さんにあの役をやってもらえて本当に良かったです。わたしのことも話せて良かったなあ。わたしは、玉垣さんの偉そうじゃないところ、歳が離れてるのにみんなのことを対等に見てくれているところ、歳が離れているから優しく見守ってくれるところ、大好きです。玉垣さんが座組に来てくださって、よかった。わたしのおじさんアレルギーもちょっとは改善できたかな!?!
金魚(みらい)役 青海アキさん
金魚ってなんなんでしょうね。初演の時、演出補佐に聞かれて、わたしは答えられませんでした。多分きっとその頃は、作品をつくりながら自分の金魚を飼い慣らす作業をしていたのだと思います。二年の時が経って、青海さんが来てくださって本当に良かった。みんなの前で車座になってわたしがわたしの話を話した時、青海さんが頷いてくれたのを見た時、わたしの中の金魚像がわたしの中で固まりました。金魚ってきっとこういう存在でもあるんだろうな。悲しみ、喜び、怒り、葛藤、どうしようもないわたしの衝動。それらであり、それらを見守る存在でもある。青海さんは、わたしが予想していなかった金魚像をつくってくれました。青海さんが座組に来てくださって、本当に良かった。ありがとうございます。
◇
今、演出が物語に固執し過ぎないこと、を、なんとなく大事に思っている。
ただしくは、役者の演技のディテールに固執し過ぎないことを。
なぜなら、演出家の思う理想を100%を演じられる役者なんてどこにも存在しないからだ。
だって役者には個性があるから。
演出の頭で考える理想は言うなれば演出の個性だ。
既にある一つの個性を、まったく別の一つの鋳型に注ぎ込むことは不可能である。
だから、自分の理想のディテールに固執しない。
しかしそれは、はいこの程度ね、これぐらいなら満足するでしょ、と、観客にナメくさった態度を取る、ということではない。
大きな目で、理想を追求するということだ。
存在しないということは、これから形作られるという意味も持つ。
わたしが語るのは希望である。ともに俳優と語っている。語りかける相手は、あなただ。観客だ。
どうか最後まで聞いてほしい。
◇
「個人の人生」を「個人の手」に取り戻すために『光の祭典』をつくりました。描かれるのは、人間が困難を乗り越える、遥かで尊い第一歩です。
あの日失った大切なものを、もう一度取り戻すまで。不屈の魂、君は光。
2019年8月27日
葭本未織