にんげんはかんがえる葭である

よしもとみおりのブログ

推敲が何よりも大事

前回言っていた〆切を無事に守ったものの、できたものは惨憺たるものだった。提出してから一日半、病んで寝た。できることと言ったら弟が子どもの頃買ったらしい、我が家に数年あるが一度も読んでいなかった『ギャグマンガ日和』第15巻を読むことぐらいだった。

なんとか復活して今日、仕事のスケジュールを書いている手帳の6月のページを開くと、締め切り!と書かれた日付の下にこう書いてあった。

「もっと推敲の回数を重ねるべきだったし、そのためには完成を早くして、直す……って工程が必要」

わ~!一か月前のわたしよ~!そのことをすっかり忘れて同じあやまちを繰り返した数日前のわたしよ~!!!

今度こそ忘れないように、文の終わりにこう書き加えた。

「7月25日 同じことを7月の〆日に考えていました!推敲は一番大事!」

 

 

am-our.com

 

先日公開されたAMの記事はかねがね評判が良くてわたしはとても嬉しい。

これは10年戯曲を書き、数年小説もどきを書きながら思ったことでもあるけど、自分の極個人的なモヤモヤが「普遍的な人間の悩み」とリンクできた時、良いものがうまれる。主語がデカくなきゃ名文なんて書けないのだ。いつでも感受性を高くして。わたしの苦しみが一体、人類の歴史のどこと結びつくのか考え続けなければ。人々を感動させるようなスペクタクルはうまれない。

と、こうやってえらそうに講釈垂れてる時はすごい楽しんだけどな~~~。

スペクタクルは見つけ出すまでに時間がかかる。それをちゃんとスペクタクルになるように形にするのにも時間がかかる。だからこの記事のようなことはもう奇跡で、半年に一回あればいい方だと思う。

note.com

 

だから仕方がない、と自分に言ってやる。時間がかかっても仕方がない。気長に書くぞ。締め切りは守りつつ。

まだ足りない、まだ飛躍が足りない。スペクタクル、わたしだけの生み出せるスペクタクル。それを生み出さなければ。