にんげんはかんがえる葭である

よしもとみおりのブログ

出来事への抵抗

(『聖女』パンフレットに寄せて)

松田正隆

 
 どうしてこうなってしまったのだろう。こんなことに。こんな惨状をなにが契機で私は引き摺っているのか。あのときの、あの日の出来事をなす術もなく今の私は受け入れざるをえない。「いま」と「あのとき」。それは取り返しがつかない。だけども、それでもなんとか、とこの劇の人物たちはあがいている。みすぼらしくもけなげな天使たち。
 
 演劇の上演自体がそれを主題にしていることは自明のことであるが、この「聖女」も「いま」が「あのとき」に抵抗している。演劇における創造行為とは、過去の取り返しのつかなさへの救済行為である。それがなされる聖なる場所が場末感ハンパない「クラブ・マリア」なのだ。なんなのだろう、この偽物感は。虚言から物語が生まれること。取り返しのつかない「あのとき」を「いま」ここで、私のかけがえのない「物語」に代えること。その凄まじいエゴイズムがこの劇を支えている。
 
 それにしてもファスビンダーも真っ青な落ちぶれシーン満載ではないか。しかし、聖なるものは、汚辱のなかにしかないのだ、とばかりにユリは書く。松島のあの出来事を救うため、いや、世界のすべての罪を許すべく、ただただ、愚鈍に。「書くこと」は、パーフォーマンスである。内容ではない。
 
 
 
パンフレット▽
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2015.11/13〜14.
立教大学新座キャンパスロフト1にて上演