「お約束」は誰のためにあるのか-あやめ十八番『しだれ咲き サマーストーム』を観て。
めちゃくちゃに良かったのでめちゃくちゃに本気の感想を書きます。
あやめ十八番『しだれ咲き サマーストーム』を観ました。
あらすじはこんな感じ(コリッチより)
江戸時代、寛永の頃に絶えた幻の風習“嫐打ち”。
前妻がうっぷん晴らしに徒党を組み、後妻の家を襲撃するというこの奇妙な風習を題材に、あやめ十八番がお送りする新作“擬古典”演劇。舞台は開国が遅れに遅れた日本。処は、お江戸、岡倉町。
古き良き江戸の風習と現代文化が鮮やかに混じり合う時代。
一人の男と、その前妻・後妻の丁々発止のやり取りを描いた女達の合戦絵巻。
どうですか?
わたしはこのあらすじ、地雷です。
まず、江戸時代、無理。なぜなら江戸時代を舞台にした演劇で面白かったことが一度もないから。
ただでさえ無理なのに、開国が遅れた日本、まじで無理。そういう銀魂。みたいな設定は少年ジャンプの無料で読める読み切りだけを載せてるサイトの新人の話だけにしてほしい。
古き良き江戸の風習、無理。なぜなら風習に古いという形容詞がついた瞬間、良いものは一つもないと思うから。
女達、無理。なぜなら女、男、と一括りにする乱暴さに、きっと作品での語り口も乱暴だろうと想像してしまうから。
合戦、無理。なぜなら演劇で合戦を描くとき、だいたい死を美化するから。
以上、無理なことづくめの、自分向けじゃない、限りなく自分にとって地雷な作品だろうなと思いつつ、中野亜美ちゃんが出てるという一点で観に行きました。
結論、地雷な部分は最後まで地雷でした。
一方で、たいへん良かったです。
どういうことか説明します。
まず、すべての俳優がとても良かった。
この感想ってつまらないプロデュース団体のチケット販売のための群像劇風何もなし虚無作品見せられたときの常套句ですが、本当に良かったので書きます。
みんなをきちんと描きたくて誰一人として描けなかった台本でしたが、それを補って余りある俳優の良さがありました。
んなもんあるわけねえだろ!という方には伝えたいですが、舞台の魅力を見た目オンリーに絞った場合、魅力の99%は俳優の魅力です。
俳優の魅力とは、舞台の上だけに絞れば、生命力です。
生命力とは、目的の力でもあります。
一人の一人の俳優に役の目的が明確にあり、観客の目にその目的が明確にわかり。ここからは妄想でありお節介ですが、きっと俳優本人にもこの作品に出る意味があり、意味が目的になっている。
俳優の体に、この作品にかかわること、強く流れるそのコンテクストを感じて非常に良かったです。
うがった観劇者には、「集中力が異常に高い」と言う方が説得力があるかもしれません。
ひさしぶりに噛むことにノーミスの舞台を観ました。けっこうしあわせな気分です。
ものすごく良い作品づくりだなと思い、ずっと舞台を観ているのが心地よかったです。
一方でその滾りを阻害しているのが、おそらく創り手が非常に観客に配慮した結果入れ込んだ「お約束」の数々です。
観客はこういったものを受け入れやすいに違いない!という「お約束」。
舞台を見ながら、「お約束」は誰のためにあるんだろう、と考えていました。
わたしが先ほど、無理、無理、と、どこから目線やねんと言う態度で並べ立てた部分はすべて「お約束」の部分です。
江戸時代、古き良き江戸の風習、自分の先祖や、自分のルーツを感じて、受け入れやすいでしょ?
開国が遅れた日本、天下のジャンプで何度も選ばれているシュチュエーションなんだから、受け入れやすいでしょ?
女達、って言葉を使えば、誰が主役なのかわかって受け入れやすいでしょ?
合戦、よく作品の題材になるし、受け入れやすいでしょ?
自分のやりたいことをやる。だから土台をしっかりつくる。その土台はしっかりわかりやすく、しっかりわかるように。わかるように。
……わかるように?
果たして「わかる」の主体はどこにあるのだろう。どこを想定しているのだろう。
『しだれ咲き サマーストーム』を見て感じたことは、過度の「お約束」の連発、そしてそのメタ的なアピールは「既視感」という名前になり、それはリアルタイムで目の前で生きる俳優の演技を物語ごと阻害するということだ。
ばっきゃろ〜!それがやりたかったんだよぉ!題材は落語だぞ!お約束のアピールも込み込みでお後がよろしいようでに繋がんだよぉ!
と言われてしまえば、大声で、わかる!!!と返したい。
めっちゃわかる、だってつくってる側はメタって思いやりだもん。
これだけの群像劇を、これだけの知識量をもって、洗練された音響・照明効果、舞台美術、マスゲーム的な人員配置、そのほか全ての演出で創り上げること。(今更だが、視覚効果の演出は500点満点なので演出家志望はみんな行こうな)
吉祥寺シアターで3000円という信じられないぐらい安く新規に優しい価格帯。(制作も500点満点なので、制作志望もみんな行こうな)
そして作家と演出のことを信用した俳優たち。
よき作品であればあるほど、受け入れてもらいたい。
受け入れてもらいたいから、受け入れてもらいやすいであろう土台をつくる。しっかりわかりやすく、しっかりわかるように。わかるように。
しかしその土台に誰が立つのか、誰がその土台から舞台を観るのか。
そういったことが欠如した作品だった。
しかし、これらはすべて、わたしが、創り手の観客への思いやりという名の忖度を見たくないから発言しているだけのことだ。
それから本当に虚無みたいな演劇を観た後は、アンケートも書かず、最寄りの駅のゴミ箱に罪のない折込チラシをぶちこみ、こんなものにお金と時間を使ってしまったトイレで嗚咽し、ツイッターに共演者とのツーショットをあげて「俳優の皆さんすっごく良かった〜!千秋楽まで頑張ってね♡」と書いてジ・エンドである。
徹頭徹尾伝えたいのは、この作品はめっちゃ見応えがあり、教えたい見所がたくさんあるということ。
そして、わたしが書いていることが嘘か本当か、同意できるかできないか、それは劇場でしかわからないということだ。
だからぜひ、あやめ十八番『しだれ咲き サマーストーム』を観にいって欲しい。
7月24日まで、吉祥寺駅から徒歩5分ほどの吉祥寺シアターでやっている。
『光の祭典』に出演してくれる中野亜美ちゃんがとてもいい役だ。
お嬢様の役なんですよ〜と聞いていたので、毒にも薬にもならない役だったらどうしよう…と思っていたが、クソ女で安心した。やっぱ中野亜美の良さはクソ女感にあると思う。
それから中野亜美もいい役なんだけど、他の役も最高に良いので楽しみにして欲しい。
てめえの地雷なんか知らねえよ!って方や、
馬鹿野郎!上記のてめえの地雷は俺の萌えだ!!!
って方、
はたまた、
地雷発言鬼怖いんですけど〜?!演劇は気軽に楽しく泣けるもんでしょ?!
という方など、たいへんにおすすめな作品です。
なぜなら面白いので。
(あと泣けます)
ふと、最後に。これは自分に向けて言う。
演劇のフライヤーのあらすじというものについても考えた。だいたいが本当の作品よりつまらない。映画とは真逆だなと思う。それはかけた時間が違うからでもあり、先ほど述べた忖度が蔓延しているからではないかとも思う。
定型でしか語れないあらすじには、定型でなくてはならないという思い込みもあるのかもしれない。
だけどきっと本当に描きたい作品そのものには、たくさんの要素があって、それは決して「お約束」なんて言葉を軽んじた先には生まれず、その要素によって作品が作品になっている。
「お約束」は観客のためにあるのではない。
たぶんきっと創り手のためにある。
だけど観客は「お約束」が欲しいのではない。
劇場、開幕のベル、はじまる物語。
作家に、演出家に、スタッフに、そして俳優たちに、かどわかされ、連れて行かれたその道のりを、ふと振り返るとそれが「お約束」だっただけだ。
決して道をたどる途中に「あ、これお約束」と認識するのではない。
恋と同じだ。唐突にそう思った。
追記
『しだれ咲き サマーストーム』で、色男たちに(ま〜〜じでこの作品には色男ばっか出てくる) 地獄に落とされる女たちもそうだ。
男に手を引かれるとき、「なんだかこれってお約束」と思いながらベッドインするのと、
さんざん酷い目にあわされて挙句、風呂に沈められたんだけど、ま〜〜じであの人のこと好きだった!振り返るとお約束でしかねえんだけどな!
と思うのとは、まったくちがう。
まったくちがうのだ。
追記終
一年ぶりぐらいに本気で語りたくなる作品に会えたのでしあわせです。3000字超えの想いを込めて、あんまり怒らないでもらえると嬉しいです。
よしもとみおり