にんげんはかんがえる葭である

よしもとみおりのブログ

わたしは期待に弱い(プロダクションノートその②)

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どうせ誰も見てないんだけどやる、というメンタリティが自分には一番合っていると感じる。そういうときはのびのびと自分らしく、多少の反骨精神を持って、物事にとりくめる。だけど「あ、今わたし期待されてるぞ」と感じると、てんでダメになる。手も足も頭も氷のように固くなって動かなくなる。わたしは期待に弱い。人からの期待を察知すると、それに100パーセント応えたくなる。そして「期待に応えたい」ということだけが脳みそをしめ、本来期待されているだろう作品づくりやなんやらにまったく集中できなくなる。本末転倒である。

でもなぜ?と原因を考えるとたぶん、「ここまで期待されてるけど、その期待に応えられなかったら、ガッカリされたら、わたしは見捨てられる。いや唾を吐かれて手を振り上げられて、わたしが怖くて目をつぶると、アハハ冗談だよ本当に殴るわけないじゃん、と相手は笑いながら去ってゆく。だけどその背中に大きな目がふたつぎょろりとついていて、ジッとわたしを監視してる。わたしは動けないまま、道に座り込んでいる」という恐怖のイメージが心の底にあるのだ。そして更にその原因について考えれば、たぶん、そのようなことに近い出来事が、過去に確かにあったのだろう。

ここにも書いたけど、自分を縛る観念の存在を認知している人は多い。けれど、ではなぜそれができあがったのか?たしかにあったはずのきっかけの出来事を本当に思い出す、という行為をしている人は少ないように思う。それをやってみようよ、という文章を今、書いている。

ということで今日は終わる。それじゃあまたね。今日も君にとって良い日でありますように。

 

葭本メアリ @shoujo_toshi

 

 

 

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