にんげんはかんがえる葭である

よしもとみおりのブログ

二年以上胸にずっとのしかかってたことをようやく言語化できた

二年以上胸にずっとのしかかってたことをようやく言語化できた。くわしくはAMの最新話をご覧ください。 

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以下所感。

この記事に書いた「2年ちょっと前のある出来事」が起こってから、正直2019年は気が狂いそうな日々だった。自分らしくないこともたくさんしたし、自分で自分を傷つけるみたいなことも(本当にはしないが)(わたしは人前に出る仕事をしている、という自負があったので)(でもまあそれに近いことは)あった。寝てるんだか起きてるんだかわからない不安定な、もやみたいな日々を過ごしていた。これじゃだめになる、と、2019年上半期に3本演劇をやったら、ますます病状は悪化して、下半期に神戸に帰ってきてからは廃人だった。2020年に演劇のおかれた困難さを思えば下半期にも無理して演劇2本ぐらいやっときゃよかった、と思うが、当時はそれどころじゃなかった。

不健康な心は去年の12月まで続いた。断続的な安定はあったものの、すぐに不安定に戻る、というかんじだった。が、なんでかわからないのだが、12月に入ったら吹き飛んでしまった。なんでかわからないのだけど、こういう穏やかな季節を大事にしていきたい。

さて、こうして記事にしてみて思うのは、言葉にする、ということのふしぎさだ。言葉にするのは本当に時間がかかる、その時間を短縮しようと焦らずにじっくり自分を癒した末にいつか言葉が刃物ではなく救いなる日がくる、という話をデビュー作の『聖女』ではした。

言語化とは解放である。それは、常に感じている。

しかし今回はまた別の発見があった。過去を言語化していくうちに、自分の指が勝手に動いて、新しい見解をくれたのだ。それが記事内の後半の部分にあたる。

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わたしうまくいかなかった、でも、確かに愛してた』

こんなふうに自分の気持ちに美しい言葉をつけて形にしてやるなんてこと、去年は無理だったろうなと思う。わたしは自分のことをとてもきたなく、そんなことをしてやっては全世界から殺されてしまう、生きてることが分不相応な人間だと思っていたから。でも、今はそれは妄想で、そんなことないってわかる。世界はわたしを害さない。

ということで2020年はかねがね良い年でした。遅ればせながら、2021年もよろしくおねがいします。

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よしもとみおり