にんげんはかんがえる葭である

よしもとみおりのブログ

楽しいことを仕事にしろっていうけど

うまく頭が回らない時ってみんなどうしてるんだろう? 最近の自分はまたこの感覚になってきてしまって、とてもつらい。元気になるには時間がかかるっていうけど、どれぐらいの時間がかかるんだろう。早く元気になりたいな。

たくさん泣いたりして、文章を書くことと演劇をすることにはさして違いが無いと気がつく。つまり、全然楽しくない。楽しくないけど、やることなんだ。ということ。

「自分がやるべきだと強く思い、あきらめられないぐらい執着し、叶えたいと思っている目標」それが自分にとっての演劇をすることだった。だから15年間とてもつらかったし、しんどくて、毎日泣いてた。だけど振り返ってみると、とても愛おしかった。離れたから余計にそう思うのか。

そしてこの一年ちょっと、わたしなりにまじめに文章に向き合ってみて、同じ感情を「書くこと」に対しても抱くようになった。

たぶん、わたしの「楽しい」って感覚は人とちょっと違うのかもしれない。わたしにとっての「楽しい」は楽って意味。リラックスとも言えるかな。だからわたしが一番楽しいことをしろと言われたら、ベッドで犬を抱きながらマンガを読みつついつまでも寝ることだ。これが一番楽しい。何も産み出さないことが一番楽しい。

だけど世の中の人、あるいは世の中の「好きな仕事で成功した人」にとって、「楽しい」って、自分がプレイヤーになって渦中で名プレイをすることなのかもしれないね。そういう人たちの言う「楽しいを仕事にしろ」を真に受けすぎてた。だってそうなるとわたしは日中ベッドで犬を抱きながらマンガを読みいつまでも寝ることを仕事にしなくちゃいけなくなる。そんな仕事でやっていけるのトップランカーのツイキャス主の転生YouTube配信ぐらいじゃない? 

わたしが心底苦しんだり悲しんだり、もう嫌だって泣いたり、ほんの一瞬よろこびの瞬間が体を駆け巡ったり、すぐ死にたくなったり。そういうことができるのってたぶん演劇と、文章しかない。それらは全然楽しくない。やっていて、つらくてつらくて消えたくなる。だけど続けなければ、と、足を進め続ける。続けることができる。それだけで、自分がそれを仕事にする意義はあるはずだと思う。

だからわたしはいま、全然楽しくないことを仕事にしたい。だから泣いたりしないで、お稽古する他ない。演劇の頃みたいに。コツコツ、ひとりでお稽古をする。お稽古するしかないんだよ。

がんばってね、自分。