にんげんはかんがえる葭である

よしもとみおりのブログ

意志のある無題

ブログの更新は一日一回までって誰が決めた?その昔、偉大なる指原莉乃先生は一時間に一回更新していたんだぞ。(たしか何かの企画でそうだったはず)

ということで、な~んにも考えずにキーボードを打ってると心の平穏が訪れることを知ったから、今また、はてなに向かってます。

この「な~んにも考えず」というのは、好きなことを言ってもネット右翼警察に突き出されることもなく、リアルの知り合いにも「ウワ…政治的発言…怖い…」と引かれず、とにかく思っていることを書く、ということです。

noteに有料で連載しようかなと思ったりもしたんだけど、noteってなんかちょっと実のある事書かなきゃいけない感、無い?わたしだけかな。無いなら無いで全然有料マガジンつくるんだけど。

昨日、『殺人者の記憶法』というとてもおもしろい映画を見て、本当に面白かったので感想を書いている人のブログを読み漁っていたら、なんだか全然未完成というか、別に含蓄のない、気軽な感想を書いている人が多くて、それがとてもポジティブに見えて、嬉しかった。

わたしはちょっと、意味ある事をしようとしすぎていた。そして、その呪縛からちょっとは解放されたけど、またすぐに自分から、その縄に縛られに行ってしまったりする。そう、意味のある事をして圧倒的成長。でも、意味のあることって何?誰がそれを判断するの?

リアルの知り合い、と書いて、といってもみんな半年以上会えてない人ばっかりだと気がついた。半年前に東京を離れて隠遁したからだ。それ以降あった人で、Twitterでつながっているのは、たぶん片手で足りてしまうと思う。と、書いて数えたら二人でした、ティアアスのSho_hashiさんと、#Kutooの石川さん。二人ともすごく好き。でも、会えてない人たちも好き。

そしてまあ、リアルの知り合いで今どき、政治発言に「ウワ……怖い…」と引く人、いるのかな?と思ったりもする。みんなのこと、大学生ぐらいに思ってるけど、もう卒業して5年も経ったんだもんね。みんなそれぞれに大人になってるはずと思う。わたしは大学4年間で出会った人たちのこと、それから劇団をやっていた3年間で出会った人たちのこと、そして今まだ縁がある人たちのこと、けっこうみんな好き。好きだよ。だから、そういう人のことを信じようと思う。インターネットでいきなりとんちんかんな石ぶつけてくる知らないやつのことはほおっておいてね。

こうしてツイートの代わりに文章を打つと心が安心する。わたしにとってTwitterがもう安全な場所じゃないってことなんだろうなアと思う。それじゃあ見なきゃいいじゃんっていうかもしれないけど、見ないは見ないで、動向を新聞やテレビだけに頼るのは怖いんだよ。どちらのメディアも、現政権は酷いけどこのままだね、仕方ないねって言われてるみたいに感じてしまうから。だってどのメディアも、はっきり怒ってくれないじゃん。赤旗日刊ゲンダイだけだよ、わたしの代わりに怒ってくれているの。でもそれじゃ足りないの、わたしだけがおかしいと思っているのかと、狂ってしまいそうになる。だからわたしの代わりに怒りを表明してくれる人たちをいっぱいいいねして、その中でも言葉が優しいものを選んでリツイートして、それでもきっとフォロワーの少ないフォローしてくれてる人にはたくさん「Girlsmetropolisさんがいいねしました」とか通知が行って嫌な気持ちにさせちゃうんだろうな、とか考えながらもいいねして、そうしてようやく心のバランスが保ってられるの。

そういうのが無いから、はてなは楽だ。誰が見ているのか、まったく通知も来ないし、いいねもないし。だからわたしは好きなように書ける。なんだかちょっと劇場と似ていると思うのは、わたしがなんだかんだいって自分のことを劇作家だと思っているからだろう。