にんげんはかんがえる葭である

よしもとみおりのブログ

欲望のはけ口

自分自身が他者の、それもとても大切だった人の欲望のはけ口にされていたと気がついて、崩れ落ちそうになりながら、崩れ落ちることなく、犬を抱いている。

もうそんなふうに人とは関わらない。たとえ誰にどんなに求められても。誰にどんなに怒られても。誰にどんなに泣かれても。

わたしはわたしを守る。いまひざの中で寝ている犬にしてやるみたいに。

やったほうは、わたしのとても大切だった人たちは、きっと自分がわたしを欲望のはけ口にしたという自覚のないまま、生きていくんだろう。その人たちは自分が悪いなんて思わないんだから、わたしもわたしを悪いなんて思ったりしちゃいけない。わたしは悪くない。

わたしのとても大切だった人たちは、わたしの心の中ではまだ大切の枠の中にいて、「その人たちを大切にしなきゃ」という悪夢でよくうなされる。彼らが枠の中から外へ出て行くのは、たぶん時間がかかるけど、うなされているのが現実じゃなくて夢だってわかっていれば、少しは気持ちが楽になる、ような気がする。

わたしのひざの中で寝ている犬は、寝言を言う。たった5キログラムのこのあったかさだけを、大事にする。

(思うままの日記)