にんげんはかんがえる葭である

よしもとみおりのブログ

なぜ書くのか

一日2時間だけ執筆する、と決めたら当社比ではかどるようになった。この2時間は連続した2時間でもいいし、1時間、1時間と別れていてもいい。とにかくその2時間だけは書くのだ。あとは好きなことをする。というか、書かない。書こうとしない。

なぜ書くのか、という問いがある、わたしの中で。東京に住んで演劇をやっていたころ、それは明白だった。軽量鉄骨のボロアパートを出て、新築駅近ピカピカのマンションに住み、年に10回公演を打つためだった。(ちなみにどんなに頑張っても1年の最多公演数は4本だった)

そうなったら、みんながわたしを大切に扱い、わたしは幸せになるんだと思っていた。

今こうして演劇をやめて、地元に帰り、友人はいないが愛犬はいて、家もピカピカ。まわりには自分を大切にしてくれる人だけがいて、心も落ち着いている。欲しかったものが手元にあり、満たされきっている。

そうなると行き詰るのが執筆である。どうにもならない苦しい現状を打破するためにものを書いてきたのだ。しあわせならばできれば書きたくない。

じゃあ地元に骨をうずめるつもりで就職すればいいじゃないか、と思うのだが、それで本当にええんか?!と、17年仕えてきた芸事の神様(と言う名のわたしの脳内の強迫観念)が怖い顔をして迫ってくる。

その神様の顔はむかしはよく見えず、名も口にできない、とにかく巨大で恐ろしい神様だったのだが、今は小さくてかわいらしい小鬼のような顔をしている。わたしの強迫観念もずいぶん落ち着いたものだなあと思う。

なぜ書くのか、という哲学的な問いは、実際書けているただなかでは出てこない問いなので、あ~書けなくて苦しんでいるんだなあ~と自分をよしよししながら、頑張りたい。