にんげんはかんがえる葭である

よしもとみおりのブログ

わたしはいったい誰なんだ

わたしはいったい誰なんだ、という思いが胸に去来している。別に記憶喪失とかではなくて。コロナが流行って以降、そして怒涛の7月を終えて以降、わたしの内面はすっかり変わってしまった。正確には、大事にしていたこと、情熱を注いでいたことがすっかり変わってしまった。それらはわたしの内部を構築する柱だった。今はその柱が、めちゃくちゃ敏腕な職人によって、いつのまにか完璧に新しいものに入れ替わってしまったような感じだ。しかも柱は前よりも頑丈になっている。良いことである。しかし、わたしはいったい誰?という感はぬぐえない。長い時間、脆い柱が自分の内面世界を確かに支えていたからである。

自分にとって生きやすい選択ができるようになった。それだけのことなのだが。

物語を書いているとずいぶん体力を消耗する。眠たくて仕方がない。だから朝起きてパソコンに向かって遅めの朝ごはんを食べたら2時間寝て、また起きてパソコンに向かって昼ごはんを食べたら2時間寝て、起きてパソコンに向かっていたらもう夕食の時間だ。そうそう、信じられないぐらいお腹もすいている。

物語を書くと言うことは物語の中にどっぷり入りこむということで、今書いている話においては、わたしはまだその段階に至っていない。いや、至っていた時期も確かにあった。あったのだが、その時は現実も同じように(あるいはそれ以上に)大変で、文章を書く余裕が無かった。今は現実は凪のように静かなので、どっぷりだったころのメモなりなんなりを読み直して、なんとかあの時の間隔を掴みなおそうとしている。

しかし気がついたら、狂ったように「ていねいなせいかつ」っぽいYouTuberを見たり、この間買ったクロワッサンを読み返したりしている。文章が書けないとき、家事は救いだからだ。一生懸命家をきれいにしていると、あー生産性のあることをした!という気持ちでいっぱいになる。肉体的にも疲れるのでよく眠れる。しかしこれはテスト前の部屋の大掃除と同じだとわかっている。現実逃避だ。あーだめだめ、と頭を振ったりしてみる、一人の家で。それにしても、現実逃避ってどうしてこんなに楽しんだろうな。

もうちょっと頑張ってみようかなと思う。もうちょっとだけ。