にんげんはかんがえる葭である

よしもとみおりのブログ

自分で自分を癒すこと

帰郷してから3ヶ月が経った。この3ヶ月は、本当にかけがえのない時間だった。ずっと苦しかった自分を、自分の手で癒すことができた。これが4回もある時間が一年だとすると、なんてすばらしいんだろうな、と思う。一年で人は変わる。大きく変わる。

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去年の大晦日ツイッターにこう書いていた。

≪2018年は大手を振って「孤独だー!」と言える程度には孤独じゃ無い一年でした。2019年の目標は、「自己肯定感をあげる」です。わたしにとって自分の成したこと全部当たり前のことで、別に褒められることではなく、むしろもっと努力できたと思えることばかりだから、仕事で自己肯定感が上がるってことがないのだけど、その高すぎる自己イメージを一度下ろせる2019年にしようと思っています。≫

どうすれば自分で自分を癒せるのか、ずっと悩んでいた。その方法が知りたかった。だけどどんな本を読んでも、そのやり方はフワッとぼやかされていて、ちっとも分からなかった。

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結論から言うと、わたしは「ゆっくり」した。

8月の公演を終え、9月に帰郷した。そこからゆっくりと海辺の家で過ごしながら、自分自身について、知らなかったこと、気がついていなかったことをたくさん知る作業をした。

知る作業というのは不思議だ。もうこれ以上でてこないだろうと思っていても、さらに新しい自分が見つかる。しかもその新しい自分というのは、突然発生したわけではなく、長い時間をかけて堆積してつくられたもので、それがふとした瞬間に見つかるのだ。考古学のようだ。

おどろくべきことに、演劇を創るという作業は自分にとっては座学だったようだ。この3年、演劇をつくることを通して触れた、「人間が自由でいること」「幸せであること」。そういったことを、実際に人生において自分の心と体で表現する実学の時間。それがこの3か月だった。

 100%頑張らなければ頑張ってないも同然。関わったなら100%コミットしなくては、存在していないも同然。それは正しい。自分を追い込んではじめてたどり着ける場所がある。ただ、そればかりじゃないよね。

言葉ではわかる。でも、心ではわからない。わかるためには心への癒しが必要で、それは他者から与えられるのではなく、自分から生まれたものでなくては効果を発揮しない。だから、癒すことには時間がかかる。そういえば、自分の最初の作品でもそう言っていたな。

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実学の道に立ったばかりのわたしだから、きっとまたトライアンドエラーの繰り返しだけど、しばらくはこれを続けたいと思う。これとは、自分を癒すことでもあり、自分を見つける考古学のことでもあり、自分の心と体で人生を表現する実学のことでもある。