にんげんはかんがえる葭である

よしもとみおりのブログ

食事が好きじゃなかったと気がついた話。

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料理が苦手だ。

これまで、そんなことを表明しちゃったら結婚できないかもしれない……と思い、口に出すのがはばかられてきたのだが、26歳、できないもんはできないと言える年頃になってきた。だから表明する。諸君、わたしは料理が嫌いだ。

食べることは大好きだ。フロイト先生もびっくりの高い口唇欲求で、太ることさえ考えなければわたしはいつも口になにかを入れておきたい。しかしながらつくることは別だ。料理はかける時間に対して消費される時間が短すぎる。

だいたいの平均的料理時間が1時間だとすると、食事の時間は10分だ。これはわたしの食べるスピードが速すぎるということもあるのだろうが、どうにもこうにもむなしさを感じる。1時間かけてつくったものが10分で消えるのだ。しかもそれは脂肪となって体につく。無駄だ。平日の貴重な1時間を楽しくもない作業に無駄につかったのだ。という感じで、毎日自炊を頑張っていたころなど鬱になるかと思った。

わたしは5分で作り終わる料理以外したくない。つまりはできあいのものを温めたり、お湯をかけたりする料理以外したくない。幸いわたしは貧乏舌で何を食べても大体おいしく感じられる。しかも気に入ったものは毎日食べたいタイプだ。それがカップラーメンでも狂ったようにそれだけを食べられる。だからますます料理がばかばかしいのだ。

今も、これからも、なにか地殻変動のような出来事が起きない限り、わたしは絶対に料理をしたくない。

……と、考えているうちに気が付いたことがある。わたしは実は食事がそんなに好きじゃないということだ。

さいころ、わたしは非常によく食べる子供だった。大食らいだった。焼いたトースト2枚にマヨネーズを塗ってサンドイッチにして食べたり、全員用につくられた大きなスクランブルエッグを一人で食べたり、鳩サブレをこっそり一缶あけてしまったり。アイスクリームをひと箱食べたり、お弁当用の冷凍食品を食べつくしたり。まだまだ書けるほどの列伝がある。

一言でいえば、わたしはいつでもずっとお腹がすいていた。口寂しく、心細かった。一人暮らしになって嬉しかったのは、好きなだけものが食べれるようになったことだ。好きなだけできあいのものを買う。コンビニで買った2000円分のお惣菜を一気に食べる。食べているときはしあわせだった。と、まあ、そんな生活をしていたので、一人暮らし当時の家計を圧迫しているのは食費だった。

ここまで書いておいおいどこが食事嫌いなんだよといった感じなのはわかる。まとめよう。わたしは、一人でできあいのものを食べる食事は好きなのだ。自分でつくったものを食べることと、人と食べることが苦手なのだ。

自分でつくったものを食べるのが苦手なのは上記のような理由だ。時間に対するコスパが悪い。それに自分のつくる料理がそんなにおいしくないという理由もあるだろう。

では、人と食べることは?と聞かれれば、おそらくそれは強迫観念によるものだろう。呪い、目には見えない鎖。私の体と心を縛っている。

こういうことだ。たくさん食べることを喜んでくれる人種がいる。自分のことを好いてくれている男の子や、昔ほどたくさん食べられなくなったおじいさん・おばあさん、たまに帰るときの両親。元来わたしは人に喜ばれることが何よりもうれしい。(このことはまた記す)みんなに喜んでもらいたくて、私は食事を口に運ぶ。反面、昔のように食べられなくなっている自分がいることもわかっている。マヨネーズをサンドイッチにして喜んでいたころから20年経ったのだ。そろそろ胃も使用上限を超えている。だから比較的すぐにおなかがいっぱいになる。そのたびにわたしは焦ってしまう。もしかしてわたし残してしまうんじゃないか?と。

わたしが子供のころは、給食の残飯ゼロがはやった時代だった。わたし自身はすぐに食べきることができたが、いつまでも給食を食べきれず、罰のように昼休み、教室に一人残されている同級生がいた。子どものわたしは彼らをバカにしていた。なんで食べれないんだろう?早く食べればいいのに。そう思いながら内心ニヤニヤしていた。振り返れば、わたしはいつでもバカにされることが多かった。早生まれでどんくさかったのだ。そんなわたしが、珍しく誰かをバカにできるのが給食の時間だった。あいつは給食が終わっても教室に居残りさせられているバカ。あいつは生き物の命をいただいているのに食べられないバカ。思いやりのないバカ。バカにしていいバカ。

わたしは給食が大好きだった。誰よりも早く食べ終わることに命を懸けていた。そして、あれから15年ほどの年月が経ち、「生き物の命をいただいているのに食べられないバカ。」という呪いはそのままそっくり自分に返ってきている。

少し高めの居酒屋。わたしのものじゃない財布から出されるお金でたくさん並んだ料理。喜ぶことを期待している相手の目。おいしそう!と笑うわたし。お箸を持つわたし。いつわりない食欲。ありがたいという気持ち。しかし心の中は、

(速く食べないと)(おなかがいっぱいになってしまう。)(食べきれなくて残すのは重大なマナー違反だ。)(マナー違反をして嫌われるのが怖い。)(速く食べなきゃ)(速く)

わたしはいつでもすごいスピードでがっついて食べてしまう。それはもう意地汚く。そうして白いブラウスは調味料まみれになるのであった。

強迫観念がある。それは過去と深く結びついている。呪いのように、私の体と心を縛っている。その鎖は目には見えない。

手を伸ばす。体を触る。どうにかしてその鎖を手にもって、確かめて、えいやと断ち切るために、わたしは今日も文章を書く。