にんげんはかんがえる葭である

よしもとみおりのブログ

物言わぬ獣

f:id:ysmt30:20191024051745p:plain物は言わぬがワンワンとは吠える獣と一緒に暮らしている。

犬がうちに来たのは約1年前。父親が突然買ってきた。ペットアカウントに言ったら殴られそうな勢いでの衝動買いだ。母親は家族に相談もなしに犬を飼ってきたことにブチ切れ、一時は離婚にまで発展するかと思われた。

わたしも当然ながら呆れ、怒った。それは何より、うちには先住のネズミがいたからだ。

その名はフクロモモンガのジコ。今年で4歳になる。

モモンガはiPhone5程度の大きさに反して10年ほど生きる長寿の小動物で、先代のフクロモモンガたちも9年の人生を全うして旅立っていった。犬が来たとき、ジコはまだ3歳だった。

モモンガの飼育本には、静かな場所で、ほかの動物の声のしないところで飼ってください、という一文がある。モモンガは耳が良く、神経質な生き物なのだ。人に慣れることはあっても、なつくことはほぼない。(YouTubeで見るフクロモモンガは極めてまれな例だと思う)

それでも、モモンガは、ジコは、大変にかわいかった。

うちにやってきたとき、小さく豆粒のようだったジコ。母の手からミルクを飲んでいたジコ。可愛い姿もまだ残るジコ。先代のモモンガたちとは違って、半手乗りで育ったジコ。大きくなっても手のひらにおさまってしまうジコ。それが、子犬といえど、自分よりもはるかに大きな動物の声に身を縮こませている姿を想像し、東京の家で一人涙を流した。

「静かな環境で、かわいがられて生きてきたのに、ジコが可哀そうだろう!」とわたしは父に抗議した。

犬なんか絶対に可愛がらない。認めない。世話は父親がすればいい。わたしはジコが死ぬまでジコだけを可愛がる。

そう心から思っていたのに。

9月に実家に帰ってきてからは、わたしは犬に夢中になった。

犬はまだ1歳になったばかり。ブラックタンと分類されるツートンのミニチュアダックスフンドで、体重は5キロちょっと。あまえんぼうでわがままで、わたしのことを「ねえや」だと思っている。いつでもわたしの後を追い、姿が見えなければ大騒ぎし、わたしに抱かれ、幸せそうにする。わたしが犬をかわいがればかわいがるほど、犬はわたしを愛する。昼間。誰もいない海辺に散歩に行く。浜辺を走る犬。振り返り、わたしがいることを確認する犬。犬の名前を呼ぶわたし。わたしにまとわりつきころげる犬。家に帰り、一緒にソファでうたたねをする。犬はわたしの胸で安心しきって眠る。犬をなでる、無意味に。なに?という目で犬は嬉しそうにわたしを見つめ、またまどろむ。

わたしのことを大好きな犬。世界で一番かわいい存在。

犬と暮らしてたった2か月だが、その短い期間に、自分の心の中の子供(インナーチャイルド)をもう一度育てなおすことができた。もちろんそれには2年9か月の劇団活動もその一助になっているのだが、劇団活動がどうすれば自分の傷を癒せるのかの座学だったとするなら、犬は実学、実際に癒す過程に立ち会ってくれる存在だったように思う。

自分の苦しみが少しずつ溶解していく。ただいっしょにいるだけなのに。

そうして犬は犬ではなく、わたしの人生のパートナーとなった。

そうしてジコは「ジコ」という名前からフクロモモンガに変わってしまった。

物言わぬ獣とはフクロモモンガのことである。

モモンガは鳴く。嬉しいときはキュッキュと。威嚇の時はジージーと蝉のように。しかしその声はコミュニケーションの手助けにはならない。せいぜい「こんなことを言いたいのかな?」と想像するだけだ。

犬は違う。ワンと吠えるとき、目は口程に物を言い、わたしは犬が何を考えているのか理解しようとする。そして理解できる。お互いに意思の疎通ができること。それがコミュニケーションだとするならば、わたしは犬と毎日コミュニケーションをとっている。

モモンガはどんなに頑張ってもそれはできない。

だからだろうか、犬をかわいがればかわいがるほど、フクロモモンガがフクロモモンガに見えてくる。

世話はしている。前よりもずっとしている。けれども。

キュッキュやジージーという声に耳を澄ませて、なんとか意図をくみ取ろうとしていたわたしは、もう存在していない。存在ができなくなってしまった。

犬を寝かしつけたあと、夜行性のモモンガを部屋で放してやる。暗い部屋でケータイをいじりながら考える。

わたしは昔から父親の動物を動物としか思わない態度に違和感を感じていた。ジコも犬も父親が何の相談もなしに突然飼ってきた。思い返せば、先代のフクロモモンガも、トビネズミも、オポッサムも、インコも、プレイリードッグもそうだった。海外出張が多く家にいない父なので、日常の世話はわたしや母に投げっぱなしである。父が新しい動物を飼ってくるたびに、わたしは激怒した。突然うちにやってくることになった小さな動物の命がふびんで仕方なかった。小さな生き物の命がついえるたびに、もう2度と動物を飼いたくないと思った、思っているのに、父親は新しい生き物を買ってくる。気が滅入るようだった。

母はもうあきらめていて「犬が最後でしょ」と言う。これ以上動物を買ってくるのはきっと犬が最後。犬にたどり着くための、フクロモモンガやトビネズミやオポッサムやインコやプレイリードッグだった、と。

わたしはそうだったらいいなと思いながら、暗闇を飛び跳ねるモモンガを見つめた。