にんげんはかんがえる葭である

よしもとみおりのブログ

あいちトリエンナーレに行くことに決めた(演劇と助成金への所感)

行くことに決めた。

自分が今できることはこれだけしかないと思ったからだ。

 

 

 

悪い意味で忘れられない言葉というのがあるとすれば、わたしはまっさきに上記の言葉をあげるだろう。

2017年、冬。京都で行われた全国学生演劇祭の閉会式で、登壇した演劇のえらい人が学生たちにむけてこう言った。

「これからの演劇で一番大切なことはいかに助成金を獲得するかということだ」

どよめいた。正確には、わたしの心が。

会場は静かなままだった。学生たちは静かに聞いていた。

登壇している他のコメンテーターたちも何も言わなかった。

 

そんなわけあるかい。演劇が国からどれほど弾圧を受けたか。どれほどの血が流れ、どれほどのむくろが積み重なったか。それを知らないで発言しているのか。

それともあれか?政権に迎合した者だけが生き残った70年前を知っているからこその発言なのか?もう一度、自由に作品がつくれない時代が来るからこそ、今のうちに政権の希望に沿った作品をつくれるようになりなさいと言うことか?

ふざけるんじゃない、ふざけるんじゃないよ!

 

と、考えるわたしも、立ち上がって声をあげたりしなかった。

 

 

再開すると言った「表現の不自由展・その後」はまだ再開しない。

だんだんと報道も薄くなり、日々の中で忘れてしまいそうになる。

だけど、今、ふんばっている人がいる。

ふざけるんじゃない、とふんばっている人がいる。

だからわたしはあいトリエンナーレに行く。

一緒にふんばりたいから。

 

きっと今がふんばりどころだから。

 

 

あの時、冬から春に向けての京都で、ロームシアターで一緒に閉会式を眺めていた学生さんへ。

どちらにせよ助成金を獲得することは一番必要なことなんかじゃないよ。

君が君の表現をすることが一番大切なことだよ。

わたしは、わたしの話をしてしまえば、今できないことをいつかできるようになるために演劇があると思っているよ。

今わからないことがいつかわかる日が来るために。

今見れない景色がいつか現実にあらわれるように。

そのために観客の時間を借りて、一緒に舞台を眺めるのが演劇だと思っているよ。

それをしたいから演劇を、表現をしているよ。

 

で、表現をし続けるために必要なことは経済的な独立だと思うよ。

うるせーだまれ、自由にやらせろ、これがわたしの表現だ!

と言っても、殺されないために。

自分と自分の作品を守るために、一番必要なことは、経済的な独立だよ。

地獄の沙汰も金次第だよ。貧乏人はすぐ殺されるよ。それがだんだんわかってきたでしょ。

経済的に独立していることのどれだけ尊いことか。

 

もしかして偉い人は、国には人間の心があるって思ってたのかもね。

残念、人間の心があれば、地震が起こって家に帰れない人への援助を打ち切ったりしません。

偉い人は、セーフティーネットからこぼれ落ちたりしない、幸せな「日本」で生きてきたんだね。

このままずっと幸せが続くと思ってたんだね。

でもそうじゃないって平成生まれの君たちならわかるでしょ。

 

だから真に受けちゃだめだよ。

自分の表現を守るために絶対に必要なことは、自分の金でやること。

 

 

もちろん、それとは別のところに、今回の助成金交付取り下げの問題はある。

国は信用ならない。人をすぐ殺す。

実際のところそうだとしても、「国はすぐ人殺すからしかたないよね~」と殺すことを肯定する必要がどこにあるのだろう。わたしは絶対に肯定したりしない。

ツイッターにも書いたことをもう一度。

あいちトリエンナーレや表現の不自由展に賛成か反対かという話ではなく、これから自分たちの生活がちょっとしたことから「ふさわしくない」と言われて制限される可能性を止めるために、文化庁交付金取り下げの撤回を求めています。

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追記

「表現の不自由展・その後」、再開決定しました!

やったー!

www.huffingtonpost.jp

10月7日20時