にんげんはかんがえる葭である

よしもとみおりのブログ

〆切前のあれやこれや

新しい締め切り嬉しい♡なんて二日前の態度を忘れたかの如く、締め切りに追われて泣いている。どうせ直しが入るのだ、ダメで元々なんだから、気にせず書けばいいんだよ、と自分に何度も言ってやるのだが、ヤダヤダと自分はぐずっている。単純に、眠いのだと思う。

朝起きたら空はぴかぴかに晴れていて、セミが鳴いていた。部屋を出ると犬が駆け寄ってきて、すねに飛びついてはしっぽを振った。冷蔵庫には大きなスイカが半玉あって、もう半玉は切られて食卓に乗っていた。時刻は午前6時半で、母も父もいた。三人と一匹で食卓を囲んだ。いつかこんな景色を懐かしく、もう二度と手に入らないもののように愛おしむ時が来るのかしら。と、わたしは思った。

というのも、こんな生活に慣れる前のわたしをモデルに今、物語を書いているからだ。もっと神経質で、偏狭だった26歳の夏のわたし。たった10か月前のことなのにちっとも思い出せなくて、かといって当時の日記を読み返してそのまま使うなんて気にもならなくて、考えあぐねてる。

spotifyがIUをサジェストする。それほど壮大じゃない曲。だけどいい曲。今思いつく物語のどれもが、演劇にするなら物足りなさすぎて捨ててきたみたいなエピソードで、答えのわかりきった逡巡がわたしの書く手をせき止める。いいのかな、これで。でも、いいんだよね、きっと。小説と演劇の良さは違うんだから。何度も何度も同じ答えを自分に言ってやる。大丈夫、大丈夫、と。

昨日、AMの連載が公開された。

am-our.com

自分でも気に入った文章で、担当さんにもたくさん褒めてもらえた。感想もたくさんもらった。viewも良いんじゃないかな。

これは今までの連載の中で一番早く書けた文章だった。早く書けたからすごいでしょ!と自慢したいんじゃなくて。これを書いている時、ひさしぶりに、自分の気持ちが、自分の鼓動と同じ速度で、文章になった。それがとてもしあわせなことだった。

なんていうか文章を書くことにむつかしさを感じないことはなくて、こんな文章で原稿料をもらっていいのかしらと悩むこともある。だけどあの村上春樹も駆け出しの頃そう悩み、「作家は原稿料をもらいながら成長していくものだ」と担当編集にはげまされたそうだ。みんなぶちあたる壁なんだな、と、わたしもそのエピソードに励まされながら頑張った。そしたら、自分の気持ちが自分の鼓動と同じ速度で文章になる、というとっても気持ちいい瞬間を迎えられた。あ~こういうことか~と思った。書き続けなければ得られなかった感覚だろうと思った。やっぱり偉大な先輩の言うことは正しい。

と、書いているうちに、お昼に食べたパスタが消化され、うつらうつらと飲んだラテのエスプレッソが効きはじめた。眠気が去ってゆく。もう少し頑張ろうと思う。

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