主婦宣言
帰阪した。正しくは帰兵庫した。
最寄駅に降り立ったわたしを迎え入れたのは信じられないぐらいの湿気と直射日光で、「ここ」が瀬戸内の温暖な気候の土地であることをわたしに思い出させた。
2年前、「ここ」を離れた時よりかいくぶん大人になったので、わたしは駅前でタクシーを拾う。
少々おしゃべりすぎる運転手が「帰省なんです」と告げたせいか、運賃にみあわないぐらい仰々しくわたしを降ろした。ひさしぶりの我が家は、目の前の浜辺からただよう海の匂いがきつい。
わたしは「ここ」で生きていくのか。とエントランスの自動ドアをくぐって、改めて実感する。
「ここ」とは、故郷であり、正確に言えば故郷ではなく。神戸であり、正確に言えば神戸ではない。中途半端な場所だ。とにもかくにも東京とは違う場所、だ。
帰る一日前の渋谷はやけに都会に見えて、タピオカを買いに歩くガールズたちがまごうことなきギャルに見えた。
さようならセンター街、さようなら宇田川町、さようならスペイン坂。
一つ一つにお別れを言っているうちに、東急沿線で過ごした2年間はかなり悪くなかったな、という感覚に落ち着いてきた。
少しずつ大人になった2年間だった。
次住むのなら。となかなか書けない原稿のエクササイズ代わりにタップする。
鉄筋コンクリートの家がいい。鉄筋コンクリートの家に住めないなら、東京には行かないほうがいい。
と、わたしのものではない鉄筋コンクリートの家で、打ってみる。
窓の外にはさざ波。
丁寧な暮らしをし過ぎている。丁寧すぎる生活をしている。
幼い頃から両親は共働きだった。しかし同級生の家よりも少し経済的に芳しくなかった。はずなのだが、いつのまにか父親は海外出張の多い仕事になり、母親はめちゃめちゃに時間拘束の長い職業になっていた。
バリキャリの家庭に舞い戻った家事手伝いの長女、それがわたしだ。
夏の公演(『光の祭典』)をやっているとき、二ヶ月、親戚の家に居候していた。
その家では叔母が専業主婦をやっており、あまりのパーフェクトな家事にわたしは腰を抜かした。
こんなに素晴らしい稀有な存在が家にいてくれて、いてくれた上で東京で演劇やってる人いるの???そんなん100%うまくいくわ……うまくいかんのならそれは努力が足らんわ……。と言いながら夏の興行をやっていた。
そのこまやかさは、フルタイムでかつては我が家の大黒柱だった母親には、とてもじゃないができない種類のものだった。
わたしはしみじみと誓った。実家に帰ったら叔母さんみたいに働くぞ、と。
幼い頃から母親が働くのが当たり前だった。母親に家に居てほしいと思ったことは一度もないし、そもそも家事をやるのが母親である必要はゼロであると思っている。
ただ、ただである。家事を執り行う人間がいなければ、働く人は休まる時間がない。
両親にゆっくりしてもらいたい。これも一つの親孝行かな、と思い、家事にせいを出している。
家事と犬だけに全力を尽くす生活は、なんというか丁寧な生活だ。
Ku:nelの見開きで紹介されそうなぐらい丁寧な生活だ。
しかもわたしは長女で甘やかされているので、近所の喫茶店でモーニングを食べるお駄賃ももらったりする。
わたしはまだつくれないタイプの厚焼き玉子のサンドを食べながら、今はもう離れてしまった東京に思いを寄せたりした。
素晴らしい街だった。怖いぐらいに大都会だった。異質な土地だった。
その特別な土地で、わたし自身を勝手に物語にされたことは二度ある。
一度目はともかく、二度目はちょっと震えるほど嬉しかった。
読んだ瞬間に君が僕のことを書いたとわかってしまった。お話の中のわたしは意味不明に泣いていて、君はそれに困惑していた。現実の君よりもずっと優しかった。本当は、君もこれぐらいわたしに優しくしたかったのかな、と考えたりした。
今でも思い出して、広げてみては、大事にたたんでしまい直したりする、心の中で。
物語のラフスケッチを書きながら、身の丈にあったテーマを探している。
気持ちが良いことして気持ちが良くなるのは当然だろうよ、と時たま毒づいたりする。わたしは安易に気持ちよくなる作品をつくるつもりはない。とりあえず演劇においては。
でも小説においてはどうだろう。まだ書ききったことのないそのジャンルの深さに、終始、筆はさまよったりする。だけどできるようになりたい。戯曲と同じぐらい、わたしは小説を書けるようになりたい。
世の中にあり得ることだけを書く。どんなにありえないと言われても、
家から東京まで2時間。海辺の街。わたしの故郷。わたしの住処。
鎌倉あたりに住んでる気持ちで居ようと思い検索をかけたら、鎌倉は新宿まで1時間だった。
びっくりするほど都会だね。
それよりは田舎の「ここ」で生活を記してみる。
よしもとみおり