にんげんはかんがえる葭である

よしもとみおりのブログ

たったひとりで生きてみる

きっとやれるはずだから。

 

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クラウドファンディングが無事終了した。

本当にたくさんの方にご支援をいただいた。

公演中、とてもパワーをいただきました。

本当にありがとうございます。

リターン以上のものがお返しできるよう、

日々頑張ります。

公演中、応援してくださっている方からノートをいただいた。

きれいなノートだ。

その方からは12月にもノートをいただいた。

赤いA4のノート。

それはまだ使い終わっていない。

だけれど、一つの節目の儀式として、

新しいノートのページをめくる。

一行目に何を書こうか。

考え、空中で筆を遊ばせた。

すごく好きな人がいた。

すごく好きな人が、そこらじゅうに、あふれんばかりに、いた。

それがわたしの東京だった。

今もそうだ。

大好きな人。大好きだった人。好きなのをそろそろやめなきゃいけない人。仲直りしたい人。もっと仲良くなりたい人。これからもそばにいたい人。やっぱりごめんね、好きな人。諦めきれない人。大好きな人。

あふれている。わたしの思い出と一緒に、この街で、あふれんばかりに生きている、大好きな人たち。

 

愛しい。

この街から離れたくない。

だけれど離れなくてはならない。

なぜ?

 

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たったひとりで生きてみる。

そういう節目に立っている。

約9年ぶりに自尊心を取り戻したわたしは、

息を吸うのも楽しく、ただ歩くことさえ幸せだ。

わたしは欠損していない。

わたしはわたしで満ちている。

東京を離れると決めてから、

わたしの心身は変化した。

 

東京は孤独な場所だった。

孤独で狂いそうになりながら

19才のわたしは26才になった。

青春は孤独と表裏一体である。

そう22才のわたしは記したが、

26才のわたしはいよいよ青春から卒業して、

二本の足で歩き出すことに決めた。

しかしそれは孤独からの卒業を意味するわけではない。

青春から卒業しても、孤独からの卒業は難しい。

耕すべき故郷は見知った人もいない。

まごうことなき孤独をわたしはきっと味わう。

しかしたとえ故郷が愛すべき都となっても、

孤独は一生続くのだ。

どこにいても、何をしていても、

人間は、死ぬまできっと孤独だろう。

 

それすら引き受けて、受け止めて、

たったひとりで生きてみる。

チャレンジしたいと思ってる。

新しいノートの一行目。

まだ定まっていないわたしの世界。

 

きっとやれるはず。

たったひとりで生きてみる。

 

 

よしもとみおり