にんげんはかんがえる葭である

よしもとみおりのブログ

‪大きな事件があった時、語ることができるのは当事者だけである。‬

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日記です。

 

新宿あたり。らんぶる。とくしまあさみちゃんに会って、日記を書くことをオススメされた。ので、書き始める。

 

ええ〜!わたしここんところ毎日日記書いてんだよ!と言ったが、あさみちゃんの言うところの日記は、このようなものらしい。

 

朝、起きる。

朝ごはんを食べる。

居候先のポメラニアンを見る。

家を出る。

駅に着く。

電車に乗る。

原宿へ行く。

仕事をする。

仕事を終える。

あさみちゃんとごはんを食べる。

家路につく。

 

神戸の実家に犬が来てから、全世界の犬がかわいい。居候先のポメラニアンもかわいい。あさみちゃんちのパグもかわいい。 

なお、実家の犬はすぐ泣く。ひぃ〜ん、僕にかまってよぉ、と。2時間散歩に行っても泣く。ひどいよぉ、僕を忘れないでよぉ。

かわいい。うざいが、かわいい。犬はあたたかだ。

 

ふと、想像力。

あたたかでやわらかなものが、その体温を失うことについて考える。

自然の摂理であったとしても受け入れ難いその行程が、他者の手によって辿らざるを得なくなってしまった時。

その時。

その時にわたしは立っている。

いま、しばらく、立っている。

 

わたしは、何もできないことは、それで良いと思っている。なぜなら、こういった時に言葉を尽くすことは、お門違いだからだ。

 

誰にとってお門違いなの?

 

当事者にとってだ。

 

大きな事件があった時、語ることができるのは当事者だけなのだ。

 

当事者でないものにできることは、祈りしかない。

祈りの一つに募金があり、祈りの一つに詩がある。

たまたま金銭や、言葉として存在した祈り。

金銭はいわんや、けして当事者でないもののために、言葉が、物語が、あるのではない。

物語にするな。結末をかんがえて気持ちよくなるな。現在進行形で続く痛みに祈れ。祈れ。

 

10年前書けなかったポエムが書けるようになったなと気がつく。ポエムを書きたくても書けなくなってしまった人について考える。

わたしのこの言葉は祈りだろうか。

果たして気持ちよくなってないかしら。

 

新宿あたり。らんぶる。とくしまあさみちゃんに会って、日記を書くことをオススメされた。ので、書き始める。

 

明日も日記が書けますように。

 

よしもとみおり