にんげんはかんがえる葭である

よしもとみおりのブログ

『光の祭典』2019へ向けて

f:id:ysmt30:20190628023254j:image

まんまと写真を撮り忘れたので、中野亜美ちゃんのツイートを引用します。

 

 

帰宅して引越しのためにバタバタしていたらこんな時間になってしまいましたが、本日稽古初日でした。

 

今日やったことは、役決め。配役とも言います。

役者の皆さんにどの役をやってもらうか決めるためにひたすら脚本を読んでもらう時間です。

 

いいな、と思う役者さんが何人もいた場合、この人のこの役も見てみたい、この人のちがう役も見てみたい……と思うものでして。

得てして半日程度で決まるのですが、今回は史上最長。

なんと丸一日かけて役を決めました。

 

本読みだけでなく、立ち稽古もしてもらったり。

役者の皆さんは大変だったと思います。

 

でもそのおかげで、とてもいい配役になりました。

どの役もその人にぴったりだと思います。

早く見せたい気持ちでいっぱいです。

 

--✂️--

 

ここからは取り留めもないことを。

 

わたしはとっても緊張しいなので、この日を迎えることを緊張しすぎて、一週間ほど胃の調子が悪い状態でした。

今も現在進行形で胃が痛いのですが、きっとそのうちに良くなってくると信じています。

(良くならなかったら別の理由なのでもっかい病院行きます。)

 

ベッドの上で寝転がりながら文章を書き、身体中が痛くて、耳鳴りもして。久々の感覚に、こう唸りました。

 

『光の祭典』は、疲れる。

 

薄々感づいてはいたけれど、三度目にして、やはりそうなのかーと確信しました。

この作品は疲れます。

 

疲れない作品があるのか?と聞かれればそれはノーだし、疲れるから惰性で作品をつくっているのか?と聞かれればそれもノーです。

 

ただ、作品として何か全体に明るい空気が漂っていたり(前回の『向井坂良い子〜』とかですね)

短かったり(前々回の『永浜』は50分でした)

そういう作品であれば感じない、精神の疲労を、この作品では多分に感じます。

 

なぜなら(ホームページを見てくれた方にはわかると思うのですが)この作品がものすごくセンシティブな作品だからです。

ともすれば配慮のない作品だと思われてしまう。

それだけは避けたい。それは自己保身以上に、そのセンシティブなことに苦しんでいる人へ向けて、この作品をつくっているからです。

彼ら彼女らに届くためには、まず真摯さが見てとれなくてはいけないから。

 

そして観客に真摯に伝えるためには、まずは役者に真摯に伝えなくてはいけない。

だから今日は、丁寧に色々な説明をしました。共通言語をつくっていく。その中でみんなの過去を知る。彼ら彼女らの意識を知る。好きになる。信用する。

 

そういう作業があって、はじめて演劇は舞台の上に立ち上がる。

 

何か一種、強迫観念めいた美学。おまじないのような行程。それを一歩一歩踏みしめているのが、今のわたしです。

 

正直なところ、不安がいっぱいです。

夜眠れないことも、眠れないから準備をしてしまえ!と徹夜してしまうこともたくさんあります。

逃げ出したくなるようなプレッシャーを毎日感じていて、胃の上っかわはいつも痛い。

だけど、逃げない。

絶対にこの作品を東京の観客に届ける。

それが、初演を大阪で迎えたときの夢だったからです。

そして今、その夢は叶いつつあります。

とても幸せなことです。

 

--✂️--

 

明日、引越しです。親戚の家に移ります。

2ヶ月後の今日・8月28日には『光の祭典』はとっくに終わっていて、わたしは兵庫へ向かう汽車の中にいます。

17年の長きに渡る演劇生活の一端のピリオドです。

その終幕にふさわしい作品になるように。

そして新しい人生の門出となるように。

 

『光の祭典』、ぜひ観にきてください。

 

愛をこめて

よしもとみおり @yoshimoto_miori

f:id:ysmt30:20190628023531j:image

光の祭典の情報はこちら▷少女都市