にんげんはかんがえる葭である

よしもとみおりのブログ

二度目の結婚

告知告知の告知祭りである。倒れそうだ。

でも前までと違うのは、一緒に頭が弾けそうになってくれる人たちがいることだ。

ありがとうございます、報いれるように死ぬ気で頑張ります。

 

かつて、劇団ってなんなのかわかんないって泣いた時に、劇団は家族なんですよ、と教えてくれた人がいた。その言葉の意味は今でもピンときていない。

だって、家族って、なんだ?

わたしは両親と兄弟のことは好きだけれど、その感覚を他人に適応できた事がない。だって他人はすぐ離れていくから。パパとママと弟たちはわたしのこと見捨てたりしないけど、他人はすぐ見捨てるでしょ。家族じゃないじゃん。嘘じゃん。

 

だから今の時点でわたしが、過去の泣いてるわたしに言えることは、「劇団って結婚みたいなもんだよ」ということだ。

 

他人同士が寄り合って同じ時を過ごすということ。

時たま幸せな一瞬があるということ。

それ以外は日常だということ。

維持は努力だということ。

他人だから、離れることもある、ということ。

 

そしてそういうことで行くのなら、今のわたしはバツイチで事実婚だ。

 

思えば最初の結婚は気負いすぎていた。絶対に幸せにして「やりたかった」。

「やりたかった」のだ。

しかし幸せとは個人で異なり、しかも個人でしか成し得ないものなのだよなあ。誰かにその状態にしてもらえるものじゃないんだよ。一年半前のわたしは知らなかった。

 

今の事実婚は心地が良い。だけどふとした瞬間に、あ、だめ、また同じことをしてしまいそう、と足元がおぼつかなくなる時がある。おぼつかなくなったらどうすればいいのかな。謝ればいいんだろうな。だけど勇気が出ない時もある。大抵勇気がでない。ごめんね。

 

いつか二度目の結婚をするかもしれない。

そしたら今度はひっそりと、誰にも知られない山奥の教会で結婚式をあげたい。イメージの話だ。だけどそれぐらい、世の中に対して、なんの責任も負わない関係でありたい。わたしは支配的で外面がいいから、世の中がわたしたちのことを見ていると思うと、すぐ「理想の夫」を演じたがってしまうから。売れようね、一番になろうね、この世界で唯一無二の価値を手に入れて見せるよ、そして幸せにしてあげるね、って。

 

誰も誰かのことを幸せにできたりしない。幸せとはご本人の感じ方の話なので。

 

逆に言えば、絶対無理!と思うことも、次の日には、案外いけるかもと感じてしまう、そういう可能性もある。可能性という名の希望。わたしのこれからゆく道に散りばめられている。それはガラスみたいに鋭くて、触ると血が出るけれど、キラキラと輝いている。

 

「地獄に落ちても、ひとのせいに、するな。」

というセリフが新作に在る。終点だ。そこに向かって筆を進める。暗闇の中。可能性で光るわたしだけの道。

 

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3月22日〜24日に、新作を上演します。

阿佐ヶ谷アートスペースプロットという、普通の家の廊下を進むと劇場が現れる奇妙な場所にて。

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ブザーがなるとそこは琵琶湖のほとりの高級老人ホーム。

観客は全員、遺産相続人。

湖の底に永遠の国がある。

誰が老婆の財産を手に入れるのか。

悪夢の再現が今、行われる。

「地獄に落ちても、ひとのせいに、するな。」

 

東京駆ける三公演 第一弾
『永浜』
日時:3月22日(金)〜24日(日)
劇場:阿佐ヶ谷アートスペースプロット
作・演出:葭本未織

杉並演劇祭参加作品

girlsmetropolis.com