にんげんはかんがえる葭である

よしもとみおりのブログ

どれだけ被災地が無視され、孤独で、苦しく、辛かったかは、東京には、決してわからない。

どれだけ被災地が無視され、孤独で、苦しく、辛かったかは、東京には、決してわからない。

 


東京というところにいると、無視されるという感覚がわからなくなる。

なぜなら無視されないからだ。

 


東京は体に例えると脳。

考えたこと感じたことが必ず肉体に反映される。反映までに時間がかかったりかからなかったりするけれど、考えること、感じることは、とても自然な行為で、何より許されている。許可されている。

皆さん、ご自由に感じ、思考してくださいね。

むしろ、それこそが東京の仕事のように。

 


上京して6年が経つ。

 


2012年の東京は、東日本大震災にまつわる物語が蔓延しており、芸術家は猫も杓子も震災の話を書いていた。

それは絆を信じたり、信じなかったりする話だったのだけど、内容よりもその状態がわたしには驚きだった。

 


こんなに素直に何かを思考し、感じることが「許可」される土地があるのか、と。

 


東京という土地では、エポックメイキング的な出来事において当事者であるかないかなど、どーでもよい。

今、東京が、どう、感じているか、が何よりも大事なのだ。

その時、ようやく謎が解けた。なぜ90年代にJ-POPが世界平和を歌ったのか。なーんだ、東京に住んでるからじゃん。そりゃ歌えるじゃん、だって東京は、日本のなかにいる限り、誰からも無視されないのだから。

 


では地方は無視されるのですか?と東京の人に尋ねられたら、ではあなたの心の中にどれだけ地方の「自由意志」を許すキャパシティがありますか?とお聞きしてしまうだろう。

 


地方は脳であることを許されていない。

 


脳であるとはなによりも、自由に思考し、自由に感じ、それを自由に表現することを許されている状態だ。

 


16世紀の哲学者、ピコ・デラ・ミランドラはそれを「自由意志」と呼んだ。

 


これはひどくないですか、こんなのは嫌ですよ!わたしは傷つきました。変えていきたい、変えていきます!

 


と、表明すること。

 


東京が当たり前に許されていること。

 


地方はそれを許されていない。

 


大げさな、と思うなら、東京の方、もしくは東京に住み何年も経った方、あなたの心の中に、沖縄の自由意志、福島の自由意志を受け止めるキャパシティがどれだけあるか、お聞きしたい。

 


多くの場合、地方が自由意志を持つと、それは非難の対象になる。

 


もっとみんなのこと考えて?君がそんなことを言って、みんなにどれだけ迷惑がかかると思う?これはみんなのために必要なことで、それに対して責任を負うことは義務なんだよ?だって君は、日本の一部なんだから。

 


日本の一部という言葉は、すなわち、日本の脳ではないということだ。無論、心臓でもない。そのような大事な場所じゃない。ただ体に付属し、思考をしない。感じることもない。従属し、隷属することだけを求められる部位。ただの部位。名も無き部位。

 


名も無き部位が、どうして体に不満を持つことを許されると思うのだろう?

 


と、無邪気に脳は思う。

 


 


皆さん、自由に感じ、思考することは東京だけの仕事です。他の人の仕事に口を出してはいけませんよ。

 


と、言わんばかりに、無視をされ続けたきた地方がある。

どれだけ辛く、孤独で、苦しんでいても、それを表明することは、和を乱すことだとされた地方がある。

現在進行形の苦しみを、東京のエポックメイキングにされ、風化させられてゆく地方がある。

その苦しみは、その地方にしかわからない。苦しみであることすら伝えさせてもらえないのだから。

 

 

 

そんな、孤独であることを強要された地方によりそってきた存在がいたとする。彼らが窮地の時、助けたい、応援したい、と思うのは、至極当然の心の流れだ。

 


けれど、その窮地はなぜ起こったのか、考えなくてはならない。

 


その窮地には、立場は違えど、自分たちと同じ、無視されてきた存在がいるということ。

口をつぐむことを強要された存在が、どれだけの気持ちで自由意志を見せているのかということ。

 


想像しなくてはならない。

 

 

 

けれど、想像しろ、と、ただ言うのは簡単な話だ。

想像する側にどれだけの努力が必要か、それこそ想像していない言葉だ。

 


だから、わたしは、共に想像したい、と言いたい、です。

 


どれだけ地方が無視され、孤独で、苦しく、辛かったかは、東京には、決してわからない。

東京は無視をされないから。

そして無邪気に無視を行うから。

 


けれどあなたたちには、痛みをわかる想像力がある。

無視されることがどれだけ辛く、孤独か、わかる想像力がある。

 


必ずある。

 


共に想像させてください。