にんげんはかんがえる葭である

よしもとみおりのブログ

曽祖母のお葬式で演劇をやる意味を見つけた話

「あなたが演劇をやる意味はなんですか?」と聞かれることがよくあった。

その度にどう思っていたかは、こちらの記事に書いたので読んでほしいのだけど。

ysmt30.hatenablog.com

 

長らく自分にとって、「演劇をやる意味」というものは存在しなかった。

演劇というのは、私が物心つく前に、私の世界に現れた「神」であり、自分を縛り付ける「鎖」でもあった。世界の全てが演劇によって支配されていた私は、その絶対的な支配者を縊り殺さなければ、自分の自由は手に入らないと思っていた。

「縊り殺す」とは、誰にも何も言わせない、完璧な作品を創り上げることだった。

ほとんど強迫観念の中で生きてきた私にとって演劇をやる意味など、存在しなかった。

 

けれど、様々なことを通して(これも上のブログに書いたのだけど)演劇は私を殺すために存在しているのではなく、私が世界とつながり表現するために存在していると気がつきはじめた。

 

そんな矢先、曽祖母が亡くなった。

三月の初めだった。

104才だった。

 

曽祖母は、大正の生まれで、非常にハイカラな人だった。戦時中に自由と平等を説いた曽祖父と結婚したため、色々な苦労をしたけれど、「おじいさんは立派だった」と迷わずに言える人だった。いつも朗らかで、オカリナが上手な、肌のツルツルしたお婆さんだった。

 

最後に会った時、「私いまひいおばあちゃんのこと書いてるんだよ」と、私は言った。しかし生きている曽祖母をモデルに物語を書くことは、そして私の知らない時代を書くことはとても難しく、結局は書けなかった。

書く書く詐欺になってしまったと思うけれど、今の自分には書けないことだったことには違いないし、無理やり書いて曽祖母に失礼なことになっては本末転倒なので、これでよかったのだと思ってはいる。

 

その曽祖母のお葬式で、私は歌を歌った。

北原白秋の「からたちの花」を歌った。

 

それは、母と叔母から「歌ってほしい」と言われたからだったが、式の1時間前に言われた私は「ええ〜!高校生の時に音楽の授業で歌ったきりの歌を?!しかも音程間違えたらバレる程度にはメジャーな曲を?!104才の人生最後のパーティーに?!歌う?!?!」とテンパりながら、駐車場で練習しまくった。YouTubeを聴きまくった。

式が始まり、お坊さんがお経をとなえはじめてからも、正直音程の確認をしていた。「からたちの花」は4番まであるのだが、1〜4番で絶妙にメロディが異なる構成になっていて、葬儀ではないところで半泣きになりそうだった。

 

そうこうしているうちにお経が終わり、歌の番がやってきた。

歌った。

 

歌い終わると、祖母や大叔母や大叔父たちが泣いていた。皆、曽祖母の子供だった。

母や叔父・叔母たちも泣いていた。皆、曽祖母の孫だった。

集まってくださった曽祖母より20歳は若いだろう友人の皆様も、泣いていた。

ひ孫の私も、少し、泣いていた。

 

お棺に花を添え、曽祖母を見送った。花に囲まれた曽祖母は、生きてる頃と変わらないツルツルとした白い肌で、オフィーリアのように美しかった。

「からたちの花」には「からたちの側で泣いたよ、みんなみんな優しかったよ」という歌詞がある。曽祖母にぴったりの詩だと思った。わたしたちは今、からたちの側で泣いているし、お互いが涙することに優しさを感じている。そしてわたしたちを結びつけたのは曽祖母なのだ。

 

帰りの新幹線で、稽古のために大阪に向かいながら、「純粋に誰かのために歌ったのは初めてだな」と考えていた。

 

私が歌う時、私の頭の中にはいつも「受け手」がいた。 しかしその受け手は、厳しい顔をした「審査員」だった。私はいつも彼らに怯えていた。いつしか「審査員」こそが「歌」になった。これは、ダンスや芝居でも同じくそうだった。私にとって「歌」は、演劇とダンスと等しく、強迫的な存在だった。私が演劇をはじめたのが、ミュージカルだったからかもしれない。歌もダンスも芝居も、皆、自分を痛めつけ、惨めにするものだった。だからこそ、その中の何か一つにだけでもしがみついて、絶対に復讐しなくてはならないと思っていた。私が彼らにされたように、彼らを必ずぶちのめさなければならない、と。

つまりそれは、「ぶちのめすほどの才能が自分に感じられなければ、やる意味は無い」ということだった。

「歌」は、私よりも上手い人間がたくさんいた。到底ぶちのめせないと思った。私は、歌を歌うかぎり、支配者を殺す何者かにはなれないと。だから、放棄した。たくさんお金をかけてきてもらったのに、逃げた。無意味な時間を費やしてしまった。その感覚がずっと、心の中にあった。

 

でも、曽祖母のために歌えた時、気がついた。

別に、何者かになるためだけに表現はあるのでは無い、と。

 

私の歌で、みんなが曽祖母との間にあった思い出を振り返って、慈しんで、涙した。そのために、私の時間はあったのだ。私にかけてもらったお金はあったのだ。私は、無意味なことは何一つしていなかったのだ。

 

それはきっと、演劇でもそうだ。私が、演劇で、今後、何者かになれなかったとしても、確かに私の演劇を見た人がこの世の中に存在して、何を感じている。それがポジティブな思いでもネガティブな思いでも。誰かの気持ちに残っている。それで、いいのだ。そのために、私の時間はあったのだ。

 

無意味なことは一つも無い。

いつかそんなことなかった、やっぱり無意味だったと思う日が来るのかもしれない。けれど、その時のために、書き留めておきたい。

 

気がつかせてくれたひいおばあちゃん、本当にありがとう。いつか、私の思うあなたのお話を書かせてね。

 

よしもとみおり

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 (19才の曽祖母の写真を添えて)