昨日、ひょんなことから、本谷有希子×飴屋法水×Sebastian Breu×くるみ『 』を観てきました。
今年いちばんの演劇体験でした。
本谷有希子さんを知ったのは、中2のお正月。
その年のお正月のいちばんのニュースは、親戚の漫画家のおじさんが、映画にイラストを提供するよ!ってことでした。
忙しいからお正月のあつまりに来れなかったおじさんの代わりに、大叔母さんが言っていて。
チラシにバーーンとおじさんの絵が載っていて、すごい!かっこいい!と思ったのを覚えています。
その映画が「腑抜けどもかなしみの愛を見せろ」でした。
10年経って、ようやく生の本谷有希子を観ることができました。
わたしは、言葉が苦手です。
「言葉を使う職業をするんだったら言葉をもっと信用しなきゃいけない」と怒られたこともあるんですけど、やっぱり言葉が苦手です。
愛してるとか絶対ウソだし、絶対は絶対無いし。なんでみんな軽々しく言葉にできるんだろう。
それから、言葉は不完全で、言葉にしたらその瞬間自分にだけしか分からない新鮮で微妙な感情も、陳腐になってしまいそう。それできっと齟齬が生まれて、生まれた齟齬で攻撃される。
様々な側面から見てもやっぱり言葉は信用おけないものだ、という不信感を、言葉のスペシャリストの本谷さんに肯定されて、すごく安心しました。
「個人的な作品はおもしろくない」「半径3メートルの話は自己満足」というような誰に言われたかも覚えてない自己批判みたいなものがあって、
あのとき、これを書いた人26才なのかあ、って印象だったんですけど、今のわたしはあと3年でそんなふうになれるかな、ならなきゃな、と26才までにやれることをやりたいなと思いました。
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ということを、去年の夏、書いてました。
すげえ、今と言ってること180度違う。
言葉が不確かだって?
ありふれた身体論を自分の意見みたいに言うのやめろよ!
肉体がいつ自分の言う事を聞いてくれたよ!
ちなみにわたしは一度もないよ!
経験にまさる実感なし!
わたしは確実に感じてる!
肉体は不確か、しかし言語は確か!
なぜならば、言葉とは文字の上に書き留められた、
ないしは、口唇を通して描かれた「形」だからだ!
書きとどめられた時点でそれは完全な公正さを失ったただの「形」だ!
だからこそ「確か」なのだ!
揺るがすことのできない一個の完成形なのだ!!!
こんにちは、よしもとみおりです。
いま、上に書いたようなことをガチで感じています。
でも、「感じる」って、「肉体が感じる」って、なに?
来年の私は、今日の私のこの圧にゾッとしてるでしょう。
「え・・・何言ってんの・・・きも・・・」って言ってることでしょう。
そう、人間は変わるんです。
正しくは、人間の「知覚」は変化するんです。
ということで今日のお題はこちら
学び:「これが正しい演劇だ!」「あれは正しい演劇じゃない!」なんてふうに言うと軋轢と戦争がおこるので、もっと自分の感性に素直に表現しよう。「萌えますありがとうございます!」「地雷ですごめんなさい!」とか(go to しあわせな世界)
— 葭本 未織 よしもとみおり (@yoshimoto_miori) 2017年9月10日
正しい演劇などなく、ただ「萌え」と「地雷」が存在するのみなのではないか問題
(イェ~イ!!!)
突然ですが、わたしは最近、自分のやってる演劇のスタイルに名前をつけようとしています。
わたしの作品は、こんな感じなのですが、
はい!ダイジェストだからちっともわかんないね!
すごく丁寧に解説をしてくれたお客さまのブログがあるのでそちらを貼っておきます。
感謝。
余談ですがわたしは説明がクソへたくそなので、それを改善するためにも、ブログを書いています。(皆さんのほうがよっぽど、きちんと説明してくれる…)(感謝…)
はい、どうでしょうか。
多分読んでくださった方とそうでない方がいらっしゃると思うんですが、とりあえず読まなくてもわかることを言います。
あらすじめちゃめちゃ立て込んでる。
そうです、めちゃめちゃ立て込んでるんです。
「古典的な構成から展開される、単純なカタルシスに陥らない人間ドラマ」って評されたよ。
— 葭本 未織 よしもとみおり (@yoshimoto_miori) 2017年9月4日
わたしのいわゆる新劇的な演劇の創り方を、古典的な、と形容されたことが嬉しいので、古典派劇作家と名乗りたいけど、新劇のこと古典って言ったら各所から石投げられそう。
— 葭本 未織 よしもとみおり (@yoshimoto_miori) 2017年9月7日
わたしの書いてるジャンルは、もしかすると、岸田國士先生の言うところの、「劇文学」なのではないかと思い始めた
— 葭本 未織 よしもとみおり (@yoshimoto_miori) 2017年9月10日
はい、自画自賛ツイートの紹介はもうやめなさいって感じなんですが、とりあえずわたしの作品の特徴は、
5分に一度事件が起こる
人間関係立て込みすぎ
えっそんなところに伏線が?
↓複合すると↓
豪華キャストでお送りします!90分の社会派サスペンスドラマ!制作は80年代の角川映画かな?!?!?!
って感じの作品なんですよ。
こういうタイプの演劇、おそらく皆さんがイメージする「いわゆる演劇」に近いと思うのですが。
実はこういう演劇をやってる劇団って小劇場では少なくなってるんですね。
(当社調べです・石投げないで・ちがうよ!って場合はお友達になりたいから御連絡して…)
みおり、あまりにも真っ当ないわゆる演劇を書きすぎて、演劇である必要とは?と言われるんですが(笑うところです) クラシックバレエを創りたい人も、ではあなたの作品がクラシックバレエである必要とは?とか聞かれたりするのかな、気になる。
— 葭本 未織 よしもとみおり (@yoshimoto_miori) 2017年9月7日
ここでいうクラシックとは、けしてクラシックバレエの持つイメージを指しているわけではありません。
そして「演劇である必要とは?」というのは、演劇である理由を聞きたいんじゃありません。
すでにやりつくされたジャンルをやるのって、意味があるの?って言われてるんです。
ひえ~(当社調べです・石投げないで・ちがうよ!って場合はお友達になりたいから御連絡して…)
たぶんこれを言われたのは数回なんですが、わたしはもうそういったことに対する根性がやばいので、ず~っとこれを根に持ってたわけなんですが。
でも、本当に、わたしの作品って、やりつくされたジャンルなのかな?
ということを最近感じてきました。
だって、それを言ってる人は別にソースだしてくれないし。
他の人に「○○さんの作品に似てるね」とかも言われたことないし。
はっ・・・
えっ・・・・
気が付いたけど・・・
え、もしかして、それを言った人がそう感じたのって・・・
もしや、わたしが作品の中でずっと取り上げてる「アレ」のしわざなんじゃないの・・・?!
あやふやな人間の「知覚」による仕業なんじゃないの・・・・?!?
はい、最初の話題(本谷有希子ではない)に戻ります。
腐女子の世界にすごい言葉がありましてね、
「あなたの萌えはわたしの地雷」
これは読んで文字のごとく、人の多様性をあらわしている言葉です。
あなたが「すてき!」と思った表現も、わたしにとっては「無理!」なこともある。逆もまたしかり。標準というものは存在せず、人間の感じ方は十人十色で人それぞれ。・・・。
えっ演劇もそうじゃない?
だって、腐女子と同じように、演劇をやっている人のほとんどは、自分たちのお金で検閲を通さずに、自分たちの好きな話をやってるわけです、採算度外視で。
それって利益を出すためじゃなくて、本当にやりたいから自分の書きたい男同士の絡みをかいてる腐女子と一緒じゃない?
演劇ってもしかするとコミックマーケットじゃない?!
「あなたの萌えはわたしの地雷」なんじゃない?!
そう考えると、こういうツイートも、もっと素直に書けばいいんだよね。
昨日観た演劇、東京という土地がポリティカルコレクトにとても敏感で、かつ日々声高に叫ばれているのに、そこに目を向けないようにして笑いにするのは、なんだろう、とりあえず東京に来るのは厳しいのでは…と思ったりした。
— 葭本 未織 よしもとみおり (@yoshimoto_miori) 2017年9月11日
ポリコレとかは置いといて!ごめん地雷だった!
実は上に書いた本谷有希子と飴屋法水作品も地雷なとこあった!(なぜ地雷だったかは個人的に聞いて)
観劇のお誘い断るときもだいたい地雷な感じするからだった!
てか「萌え」にたどり着くことの方が少なかった!
今まで観た芝居の8割が地雷だった!
それでも自分にとっての最高の「萌え」を見た瞬間が、何よりも楽しくて、うれしくて、感動で胸がいっぱいになって、そんな「萌え」をわたしも創りたいから、演劇をやっているのだった!!!
はい、答えが出ましたね。
作品のジャンルがどうとかは置いておいて、わたしは、自分が心震えたような「萌え」を創りたいから、演劇をしているのでした。
これから、あともうちょっと、自分の作品を形容する言葉を探し続けます。
そんな感じでうるさいけど、よければツイッターおつきあいください。
ではね!
読んでくれてありがとう!
あいをこめて。
よしもとみおり
https://twitter.com/yoshimoto_miori