当て書き
先日ようやく『聖女』の改訂が終わった。
台本の直しをしていて思うのは、当て書きの、後々への影響力の大きさである。
初演は後半から全部当て書きにしたから、特になのかやみちよの口調が、ただの森川だったり、櫻井だったりする。
「やっぱ忙しかったりするの、仕事」とかほんとただの森川みるこだし。
自分の頭の中で台詞を読むと自然とその人の声で再生される。
ふと思ったけど、人は死んでしまうと声から忘れていく(じゃないですか?)(たぶん)
でも、もしも人が死んでしまっても、その人が稽古で演じるところを何十回とみていた人は、ふと台本を読みなおしたりするときに、その人の声が思い出されたりするのかな。
日常の声は忘れていくのに、台詞だけが何度もその人の声を思い出させるなら、台詞というものは記録媒体でもあるのだな、と思う。