にんげんはかんがえる葭である

よしもとみおりのブログ

初めて英語圏を旅行をする人にニューヨークがおすすめな理由。

ニューヨークの朝は9時半。東京は夜の22時半。

初めてこんなに時差のある国に来たせいか、いつも心のどこかに日本時間があって、昼間、通りを歩いていても、「日本は夜中か」と考えてしまう。

初めてのアメリカ。初めのニューヨーク。

驚いたのは、意外にも言葉が聞き取れるということ。

三年前、オーストラリアのシドニーに滞在した時は、聞き取れなかった「言葉」が、スルスルと耳に入ってくる。かと言って喋れるわけではないのだけど。でも聞き取れる。

言葉が聞こえると安心が違う。とてもリラックスして過ごせる。

思うに、中高の英語教育や、その後、映画や音楽や日常などで英語に触れる機会で、日本人は他の地域の英語に比べて、アメリカ英語に親しんでいるんじゃないかと思う。だから聞き取れる。シドニーは日本に近いけれど、「言葉」は遠く感じる。ニューヨークは遠いけれど、意外と近い。

それから、街の雰囲気も、東京に似ている。延々と丸の内の街並みが続き、その中に、広尾にいるような人々が居る感じ。場所によっては、東京の方が大きい街だな、と感じるぐらい。ニューヨークは意外とこじんまりしている。

でも、圧倒的に違うなと思うのは、古くて美しい建物がたくさん残っているところ。古いと言っても…と思うかもしれないけれど、私は1995年以降の建物ばかりある兵庫で育ち、今は1950年以降の建物ばかりある東京に住んでいるので、ニューヨークの1890年代の終わりに建てられた建物たちは十分に歴史あるように感じる。

荘厳な彫刻の施された建物たちは、あまりに美しいので、逆に「書き割り」(映画などで使われる絵に描かれた背景)のように思ってしまう。その書き割りのような風景がまた、様々な映画のロケ地になっている。人間の手によって創られた映画の背景が、実際に目の前にある。いや、きっと多分逆で、実際にある風景を切り取り、「映画」の中の背景にしている。

私は「書き割り」という言葉に、とても自分に近いものを感じていて、惹かれている。なんども劇作に書いてしまうぐらいだ。だから、今から書くことはきっとあまり伝わらないと思うのだけど、調子に乗って書いておくと、

きっと、創り手の人生に実際に存在する風景を、物語のために、再現した「書き割り」と、あらかじめ存在しないものを描き出した「書き割り」には大きな違いがある。創り手の中にある風景を、そして観客の中にある風景を、再び生みだすための「書き割り」がニューヨークにはあって、そのことは映画というのがアメリカという国の「土着の」芸術だということを強く感じさせる。ネガティブなイメージしかなかった「書き割り」が、全く違う側面をあることに気がついた。

 

ニューヨークはあと3日間滞在する。

今日までに行ったところは、グランドセントラルステーション、タイムズスクエア、ブロードウェイ、セントラルパーク、ウェストビレッジ、ちょっと離れてブルックリン、また帰って来てシティホール、そしてブルックリンブリッジ。

今日はメトロポリタン美術館に行く。よく晴れていて、観光日和。