にんげんはかんがえる葭である

よしもとみおりのブログ

『24番地の桜の園』と新作が書けない11/28と11/29の日記(時々鍼灸)

コメディが難しいのは、もう全部このくだりいらんのではとカットしたくなるとこ。
書き終わらなきゃこの体調の悪さは終わらない気がしてきた。

 

台本が終わらない。「思い出してわたしべつにむつかしいこと書きたいわけじゃなくて、熱い演劇愛にあふれた女子たちとひどい目に合う美しい男を描きたかっただけのはず…」と思わずツイッターでつぶやく。いましめのように。

 

毎度思うけど、今書いている作品が、今までで一番つらい。セリフが設定に負けて複雑になりすぎている。そして亡霊に取り憑かれている。

 

「あんたまるっきり女優じゃん。つまんないこと言ってないで、素直に撮られたいって、言いなよ」という夢波の言葉に今すごい泣かされる。千秋楽だけ、夢波の岡田氏は微笑みながら言ったんだよね。その顔が忘れられん。うだうだイジイジしてる今の外川に、この台詞はグサッとくるわ。

 

と、女優の外川遥が呟いてくれた。

そして確かに、今読み返しても、『光の祭典』は、執筆時に何かが取り憑いてたのかな?ってぐらい、すべての台詞が美しく強度が高い。構成は難しい。見やすさとしては断然『聖女』の方が上だ。だけど、筆を滑らせるたびに、あの頃の亡霊が目の前を横切って、新作は苦しい。

 

先日、『桜の園』を原作にした『24番地の桜の園』を観劇した。

『24番地の桜の園』、串田和美の描くフェデリコフェリーニ8 1/2』だった。幻想の中の桜の園と「見て、お母さまだわ。白い洋服を着て。あの頃と何もかも同じ」と言う、自分もお母さまと呼ばれるのにお母さまになれないラネフスヤカ。八嶋智人松井玲奈をトロフィーモフとアーニャにするセンス。最高。

戯曲から読み取れるラネフスヤカが精神的に桜の園の男たちすべてを掌握していたとすると、小林聡美のラネフスヤカは肉体的にすべての男たちを掌握していた。新しい解釈。「変わってしまうのね」と言いながら何も変わらないアーニャとワーリャも良かった。

今まででいちばん幸せそうなラネフスヤカだった。過去の遺産を持ち続けることは必ずしも幸せになることではない。よかったねえ。ロパーヒンはしあわせになれるのかな、永遠に心に白い服を着たラネフスヤカを飼い続けるのだろうか?とか考えてしまった。

シャルロッタたちの大幅な改訂が本当によかったな〜。特にシャルロッタは本当に良かったな。あの改訂はだれが思いついたんだろう。ポスト・ドラマのメタ演劇のギリギリの線を通って、桜の園まま、桜の園じゃなかった。 

わりとありとあらゆる点で最高だった、串田和美『24番地の桜の園』。チェーホフ限界オタクだから、解釈違いがありすぎたけど(オタクだから不遜な言い方ゆるして…) 大幅な改訂で際立つ小林聡美の可愛すぎるラネフスヤカがすごく新しかった。二幕のポスト・ドラマ全推し、そこも含めておもしろかった。

 

感想を書き連ねながら(これは全てツイッターに書いた再録だからもう少し増えるかもしれない)

チェーホフも、苦しい苦しいって言いながら書いてたのだろうかと考えた。

たしか『かもめ』の初演がボロクソに言われすぎて、もう二度と話書かねえって思ったらしいけど、その話を思い出すたび、「ばか!チェーホフ先生の次回作を期待しても出てこない世界の人間だっているんだからね!帝政ロシアのインテリのばか!」と思う。

 

さて本題。これは、今回、初めて思ったこと。

台本書き始めてから体調がよくない。

 

びっくりした。記憶の中ではこんなこと一度もなかったからだ。

思い出せ、22才。『聖女』の頃はどうやって話書いてたんだ?バイトと大学と他の稽古しながら書いてたんだよな。それが大学4年生の体力か。

24才なってすぐの『光の祭典』の時はどうだったっけ?確か、打ち合わせがある日以外は毎日15時間寝てた。残りの9時間で台本書いてた。実家だからできることだった。

そしてもうすぐ25才。

学びとしては「演劇書くのって体力いる」。

 

そう思いながらツイッターを開けたら、先日みた『24番地の桜の園』の感想へ、出演されていた八嶋智人さんから直接リプライをいただけていた。もう興奮しすぎて、わあわあと叫びながらリプライしたら、トロフィーモフのことロパーヒンと書いていた。(八嶋さんの役名を間違えた)

桜の園』、100回は読んでるのに。大好きなのに。話を見ているときは確かにしっかり役名をわかっていたのに。八嶋智人なのに。馬鹿野郎なので、もうチェーホフのこと好きって名乗れない。

「僕はトロフィーモフですよ」と訂正リプライが入った。恥ずかしい。

 

もうだめだ、倒れそう、終わった、と思って、最寄駅についたとき、衝動的にマッサージ屋へ駆け込んだ。ここ一ヶ月どうにも体調がよくなく、ずっと母親に行くようすすめられてたこともあったが、それよりも八嶋智人に失礼なリプライをしてしまったショックの方が大きかった(ウケる)(ウケない)

 

で、整体マッサージなるものに生まれてはじめて行った。

そしたら、ここ1ヶ月で一番元気になった。

びっくりしてる。「健康最高!寝ます!」とツイートして、その日は本当に寝た。

 

翌朝、起きても驚いた。ここ1ヶ月で一番からだが軽い…。

「絶対運動してくださいね」と昨日マッサージ師さんに言われたからことを思い出し、これから少女都市(劇団)の稽古にストレッチと運動いれようと決めた。

 

1日をほくほくと過ごし、夕方。これを機にしっかり治そうと、マネージャーと親から勧められていた鍼灸にも行った。どちらも初めてで、しかも痛そう。わたしは痛いのにめっぽう弱い。めげそうだったが、直前にわたしはえらそうにこう垂れていた。

 


好きなタイプがわかっちゃった。変われる人。女の人でも男の人でも、人のためにか、自分のためにか、わからないけど、変われる人。進化できる人。好きなタイプになりたいからがんばろう。

 

 

「変われる人になりたいからまず台本かける人に変わろ♡ふぁいと♡自分♡天才♡えらい♡人間♡」とその後にもつぶやいていた。偉そうに。体調不良で病院に行くことも怖いくせに。「変われるえらい人間なので、体調をキープできる人間に変わるために鍼とお灸いきます…」とツイッターに流し、診療所のドアを開けた。

 

結果、鍼とお灸のおかげで、めっちゃ体調よくなった。

 

体調がよくなると全てが薔薇色になる。マッサージと鍼とお灸はすごい。メンタルまでのびのびさせてくれる。

 

家に帰って、あさって受験生が泊まりに来るので部屋を片付けて始めた。受験生、と呟いて胸がドキドキする。うちでいいのかしら。心置きなくのびのびと受験してほしい。

 

実は、突然話すが、新作の登場人物たちはほとんどが女子大生だ。初めてだ、こんなに高い女子大生率。自分自身が純・女子大生だったのは丸2年前だ。その頃の写真と今の顔を鏡で見比べるとずいぶん性格が丸くなったなとおもう。あの頃は友達がいなかった。毎日が不安で暗かった。性格に難ありさが顔に出ている。でも、それを含めて女子大生だよなあと、今、新作で女子大生を描きつつ、思っている。

 

演劇オタクな話をしたい。用語が意味わからないのは許してほしい。女子大生だったころの同級生にはびっくりされそうだけどこの一年半でわたしも立派なポスト・ドラマの使徒となった。毎日まじめにポスト・ドラマのことを考えている。

そしてこれはもっとびっくりなことなんですがわたしはまだ女子大生をやっている。

相馬千秋せんせいの授業に出るたびにリアル女子大生にクラクラしている。リアル大学生は若い、強い、痛い、可愛い、全てがカオスのようにいりみだれた空気を当然のように吸って吐いて生きている。完全にびびりながら輪に入れてもらっている。でも、楽しい。

 


演劇の現場は、台本無しには上がらない。苛酷だ。だけど、22才のあの日から、岸田國士戯曲賞を取る、絶対取る、必ず取る、だからどんな努力でもする、真っ当な努力をする、人の言うことを素直に聞いて前の作品よりも確実に良いものを書く、絶対に取る、と思いながら書いている。孤独を胸に 夢をその手に。


「今日、約2週間ぶりに、ほんとうに体調良いから、みおりお父さんとお母さんからかわいい顔と健康な体と豊かな感受性もらって生まれてきてよかった〜〜って気持ちになってる。よかった〜〜。」とつぶやいた。24才女子大生。もうすぐ25才。

 

はい、今日もたいへん楽しゅうございました。台本書こ。

弟と私と親

「あんね、こういうことあったんよ」

 

と弟に電話すると、だいたい、「お姉ちゃんそういうの多ない?」とは言いながら、彼は「お姉ちゃんが悪かったんちゃうん?」とは言わない。同じことを他の人に言っても、きっとみんなそんなひどいこと言わないのは知ってる。でも、そう言われるんじゃないかなと怖くて言えない。本心は人に言えない、そう言われると思うと。とここまで打っていたら、サジェストで「そう言われるととても嬉しいです」と出て来て、笑えねえ、と思った。この一文を書いてる時、わたしの本心はどれぐらいあるかな。

 

人間は簡単に人間のことを傷つける。私もすぐ人のことを傷つける。弟は本当にいいやつで、でも弟も人間だから、同じように誰かを傷つけたことあるんだろうかと考えてしまう。傷つけられた人が、永遠に弟を恨んでたらどうしよう。私が小学生の時の同級生を今でも恨んでいるみたいに。

 

わたしは弟が大好きだ。と、素直に言うのをはばかられるぐらいには、弟にひどいことばかりしてきた。どうぞ弟が忘れてますようにと心の底から思う。

もしかして、とふと思った。親も同じような気持ちを持つのかな。夜更けにふと、失敗ばかりを思い出して、ああどうかこの子が覚えてませんように、と。

 

親になるって大変だな。姉になるのが大変だったように。そんできっと弟になるのも大変なんだ。子供になるのとおんなじぐらいに。

 

初めて家族のことが書けた。少し嬉しい気持ちで、寝る。

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ツイッターと、noteの再録場所です。

 

ツイッターではおしゃべり気分で更新しています。

定期的にツイ消し、それにちょっと少し追加修正して、不定期にこっちにアップロード。

noteでは、まいにち小説をアップしています。こっちにも不定期に載せます。

 

では!どうぞごゆるりとお楽しみください!

 

よしもとみおり

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ある女(恋とはどんなものかしら)(小説・百合)

ラインを読んでいるだけで
その人の声が聞こえてきたら
ほんものだとおもう。

 

今度の恋はほんものかしら、と、画面を切った。これはもちろんiPhoneの。こうしてわざわざ注釈するのは、できたばかりの恋人が、昨日テレビを買ってくれたからだ。

「これでいつでも、さみしくないね。」

彼がそういって、わたしはようやく、YouTubeで違法アップロードされた「月曜から夜更かし」のマツコデラックスの少し音程のいじられた声を聞かずに済む喜びから、「うん!」と答えた。

 

でもさみしいってなんだろう?

 

テレビのチャンネルをBSに変えた。
若い少年の声が流れる。美しい透き通った声。なんの番組かなと、画面を見て、「あ、フィガロだ。」とつぶやいた。フィガロとはオペラだ。プッチーニの『フィガロの結婚』。この曲聞いたことある。かわいい少年が晴れやかに歌うの。「恋とはどんなものかしら?」って。

 

テレビはいいね。どこにも行かずに、このままで、文化的な生活をさせてくれるね。と、思いながら、鏡の前に立ち、パウダーをはたく。それでもわたしは休日に予定を入れるのが好きだ。というよりむしろ、入れないと。そうしないといつまでも、最高に可愛いわたしを模索して、鏡の前で立ち止まってしまう。どこに行くというわけでもないのに。

ルージュを引いて、鏡の中に、まあまあイケてる女が現れて、そして思い出した。

 

今日、夢に「ある女」が出てきた。
ろくでもない男に振り回されてたころ、知り合った女だ。

 

女。女。女。

 

その女は友達とは言えない。
その女は女としか呼べなかった。

 

ああ今から語るのは本当に厳しい話、お恥ずかしい限りの話だ。だけど言わせてください、わたしが彼女を「女」としか呼べないのは、彼女は、わたしが、生まれて初めて固執してしまった・女だから・だった。

彼女との細かいエピソードは割愛したい。
ただ伝えたいのは、彼女には、ろくでもない男のことを何もかも話したと言うこと。そして次第にそちらの方が楽しくなったと言うこと。
忘れもしない。彼女が、わたしはね、と、おずおずと似つかわしくない下世話な話の、ほんの頭を撫でたぐらいのことを言ったとき、告白します、わたし、興奮してしまったのです。

 

美しい女でした。目が大きくて、まっしろで。手足がほっそりとしていて。少女のようなのに、胸だけは不釣り合いなまでにふっくらとあたたかなの。

 

今日、夢に出てきた彼女は、わたしにこう話しかけた。
「わたしね、あの素敵なおうちは出ちゃったんだ。今はこの街にも住んでなくて。今はね、ここにいるの。毎日楽しいよ。すっごく楽しい。」と、彼女が地球儀を掲げて、その細い指で指したのは、わたしの実家の近くだった。

 

ああなんて、恥ずかしい。

下手に男の夢を見るより恥ずかしい。

チークも入れていないのに、まだらに真っ赤になった頰をみて、ますます胸が潤んでしまった。

 

いつだったか、女にこう話したことがある。

「あのね、僕はね、君に変なことがしたいわけじゃないんだよ。…男っていつもこう言うよね!」

 

でもわたしも本当に、きみにそう思っていた。いや、嘘です、もっと卑しい想いを持っていた。わたしは君に、「飾り物」になって欲しかった。食べない透明な飴細工みたいな、火を灯さない綺麗なろうそくみたいな、遊ばないちいさなフランス人形みたいな、フラジルな壊れものになって、薄いガラスのケースの中でにっこりと微笑んでいて欲しかった。ああ、なんて気味の悪い。

 

彼女と行った夏の日帰り旅行。ノースリーブから伸びた腕のむこう、手入れされたまっしろな脇。照りつける光がなつかしい。
ああ、きみのいないこの街は、この季節は、あまりにも太陽が短すぎる。

 

陳腐なことを言いますね、わたしこの気持ちに名前なんかつけたくない。だって、そしたら、二度とLINEで元気?なんて言えなくなっちゃうもん。今だってツイッターにいいねも押せていない。なんでって?そりゃ恥ずかしいからだよ。一喜一憂しちゃうから。君のいいねを24時間待っちゃうから。ウケるでしょ、ダサいでしょ。そういやきみ、インスタグラムは最近更新してないね。ねえ、元気?

 

君の心が疲れて、遠くへ行ってしまったとき。ああ、なんて君らしいんだと思った。美しい魂は傷つきやすいから。どんなに傷ついても、わたしはそうはなれなかったから。

事後報告でそれを知ったとき。わたしの心は砕け散った。

その日も確か夢をみた。いや嘘です。本当は夢など見ていない。ただぼんやりと、仕事の終わりの疲れ果てた車窓の向こうに、都合の良い「夢」を見た。得体の知れない大自然の中で、きみの手足が広げられている。きみは白くて、美しくって。

 

ねえ、さみしいよ。

 

こんなに胸が潤むのに、涙一つ流せないわたし。わたしの頭の中には、今でも女の像がある。だけどそれは、もう、本当の彼女とは違っている。それをわかっている。わたしの女。美しい魂を持った壊れ物。わたしだけの女。

わたしはそのことを一生言えない。

 

「恋とはどんなものかしら。」

つけっぱなしのテレビから、プッチーニが聞こえる。

今度の恋はほんものかしら。

 

 

 

 

 

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(noteからの再録)

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とびきりはね上げガールズライン(小説・コラム)

これから思っていることは全部、小説にしてみることにした。

 

と、ツイッターに書こうとして、もしかして、これもまた、小説にできることなのではないかと考えた。

 

今月から、わたしの生活は急にテンポをあげた。いや、細かく刻まれ始めた。スタッカートで分刻みに。体がまだついて行かない。

今のわたしのやるべきことは4つ、

作り手としてやらなくちゃいけないこと、

社長としてやらなくちゃいけないこと、

そのほかの案件の仕事、

これからの自分のためにやらなくちゃいけないこと。ザッツオール。

今の生活は楽しい。もっともっと楽しくありたい。そのために働く、書く、でも、時間が足りない。

 

休憩がてら、一日のスケジュールをたててみる。とは言っても、頭の中で。今日はペンを持つ気がしない。キーボードは叩けるけど。

 

ここからこの時間は「作り手」でしょ、それで、この時間からは「社長」、「仕事の案件」はこれぐらいの時間をとって、ここからは「自分のための時間」。で、ああ、一日がとっても短い。それなのに、そう言う時に限って、なんとなく都会に出たいと思う。人が集まる場所にいき、本屋に行って、買わない本を読む。最低の行為で、最高の、文化的な生活。

 

昨日気がついたことがあった。とりとめもなくそれを話そう。

わたしはよく「打ち合わせ」をする。正確にはまだ「顔合わせ」だったりする。スタッフと一緒に、いろんな人とあう。とても楽しい。すごく楽しい。

だけど、毎回思う。

「今日の打ち合わせ、どの服装が【 正解 】かなあ」

 

わたしは社長だ。4人の大切な仲間と一緒に、素晴らしい作品をつくる、【プロ】だ。ただのぼんやりとした24歳じゃないんだ。そうやって鏡の中の自分に言い聞かせないと、わたしのクローゼットの中の服たちはいつもプリティなわたしを演出してしまう。ただのぼんやりとした24歳。

 

ハンガーからワンピースを取り出しては、投げ捨てる。これはだめ。これもだめ。わたしが欲しいのは、舐められず・強そうで・美人っぽく、かつおじさんの愛人感が出ない服装。実は最後のは一番、笑っちゃうぐらい大事なんです。男の子にもわかるかな?

 

決まらないドレスに飽き飽きして、ピンクのヒートテックだけ着て鏡の前に立つ。うん、下半身のがっしりした、なかなかの良いプロポーション。そう思うのはきっとわたしだけ。他人が見たら、ぶよぶよの、わたしの大きな太もも。

 

SNOWみたい、と独り言ちた。わたしの目はSNOWみたい。わたしのフィルターを通してだけ、わたしの体はリアーナになる。鏡という画面の中でだけ、わたしは胸の無い篠崎愛になれる。いっそ本当にSNOWみたく、「本当にある」って錯覚させてよ。

錯覚?

と、その瞬間、ひらめいた。

あ、アイメイクだ!!!というか、アイラインだ!

 

急いで化粧ポーチから、アイシャドウを取り出す。数年前に買った、インテグレートのハートのシャドウ。その中の一番濃いブラウンをいきおいよく目尻に置くと、思いっきり跳ね上げた。

 

これだ。跳ね上げアイラインだ。

 

鏡の中のわたしは、途端に強い女になった。ちょっとだけ、インフルエンサーの気分でひとりごと。「トレンドってはねさげでしょ?わたしもずっとそうしてたの。でもこういう時は、思いっきりはねあげる。アイライナーだとキツすぎるから、濃いシャドウで思いっきり。」そうしてこの目に影を作る。「ここまで影があるってことは、ここまでわたしの目なんですよ。」錯覚させる。そうして左目も跳ね上げる。

 

おお、できた。強い。怖い。しかもちょっとギャルい。高校生の時、ギャルはわたしの憧れだった。だけど低すぎる鼻のせいでどうやっても「キュート」な印象になってしまう。キュートはちなみに「滑稽」と読む。ぼんやりしたわたしの顔。

でも、今のわたしは、とびきりハード。クールで強い。滑稽じゃない。

買ったばかりの最高に可愛いザクザクのスモーキーなゴールドのアイシャドウ。細かいラメが飛んじゃうから、細いチップで、ふたえの幅にしっかり入れる。できた。カラーレス・ノングラデーション・ああ強い!今日のわたしはとびきり【 可愛い 】!

なにかを発見できたときはいつも嬉しい。それが何であっても嬉しい。その発見を作品にする。わたしはそれを売る。

 

人が集まる場所にいき、本屋に行って、買わない本を読む。最低の行為で、最高の、文化的な生活。借り物の知性でインテグレートしたい。ううん、するほか無い、ぎりぎりの女の子たちがうごめくこの都市で、わたしもそういう女をやっている。

でも、その本を買ったら?

SNOWで盛れたわたしより、新しいシャドウを塗ったわたしの方が、きっと、少しだけ「リアルに」かわいい。立ち読みした本を家に置いたら、きっと少しずつ「体」に馴染む。たかだか1000円。されど1000円。だけど、その1000円がもう一つ新しい世界を連れてくる。

 

そんな気がする。そう信じてる。だから、それを伝える。リアルはハードでクールで強い。

とびきりはね上げガールズラインで、今日も一日頑張りましょう。

 

 

 

 

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24歳のベンチャーの女社長をしている女の子のお話でした。

note.mu

 

ごめんねモダンジャズ(寺山修司は嘘つかない)(小説・後編)

「初めて、小説を書いてみてわかったけど。小説ってこりゃ確かにモダンジャズの手法だな。寺山修司嘘つかない。」

という出だしの小説を書いた。

 

 

目が醒めると、

「おらが街にも、イオンモールが欲しいな。」

と思っていた。

 

三軒茶屋は、わたしが、おらが、と付けるには、ずいぶん背伸びをしなきゃいけない。それでも家からいちばん近い街なので、なにもない日に散歩する。その程度には、おらが、な、三軒茶屋

 

夢にイオンモールが出てきたのは、たぶん昨日、久しぶりに大学に行ったからだ。大学のそばにはイオンモール。大学は母校。数年前に卒業した。埼玉の。

 

ぼんやりと頭がいたい。時計を見て驚く。
眠い眠すぎると23:30に布団に入ってそのまま眠って、起きたら12:00だった。

 

今日は夕方から打ち合わせ。
そのあとデート。

デート。

…デートなあ。デートしてる場合じゃないんだけど。

 

はじめましての人だ。何を着るのがベストかなと、家の中に積み上げられた服を一枚一枚取り出してみる。
底に溜まった一着のワンピースをひっぱりだして、思い出した。

 

わたし、橘文穂(たちばなふみほ)なんて、名乗ってたな。

大学時代の、文芸部でつかってたペンネーム。そのあと演劇サークルにも入部して、わたしはにわかに演劇少女になった。

大学を出て、三年経った。
わたしはそれでもしぶとく話を書いている。
いや、演劇を書いている。

 

だけど昨日、生まれて初めて小説を書いた。

「うっけるなー」
とつぶやいた。

あの頃のボーイフレンドを、初めて話に書いてみた。

 

 

ボーイフレンドのことをボーイフレンドと呼ぶのは、まあ、そういうことだ。
別れは自分でもひどいぐらいあっさりで、でも大学四年間の思い出のほとんどに彼はいた。

 

ひどいといえばこの小説だ。
役者を新垣結衣にして始めて成り立つような暴力的な女が、ぼんやりとした男を振り回す。

 

「これ、演劇で見たら、死ねって言うな」

これはわたしの本心。

 

だって、だってね、自分で言うのもなんだけど、わたしの演劇は、こんなあまったるくないから。もっと硬派で、強くて、たくましいから。人間と人間がぶつかり合って、血を流しながら、生きていく。そう、生きていくの。

 

「苦しい思いにしか、本当の気持ちはないよ」

いつだっけ、何作目かに書いたセリフ。これはわたしの本心。たぶんそれは、自分がそう感じたときに、はじめて、その男のことを愛していると直感したからだろう。

 

わたしは18からずっと身の回りに男がいた。
男たちのことは全員大好きだった。
別れる時はいつもみっともなく追い縋った。
追い縋ったぶんだけ話にできた。
恋はいつだって本気で間抜けで、わたしのいちばんの糧だった。

 

だけど君は?
君は、わたしにとって、どうだったのかな?

 

昨日の晩、わたしはすぐに、書いた小説をnoteに貼った。

https://note.mu/girlsmetropolis/n/n7810a0daf1ba?creator_urlname=girlsmetropolis

そのリンクをラインに流して、「こういうの書いてみたんだけど」と女友達に見せたら、「この女かわいいね。結局こういう女が男にウケるんだよ」と言われた。それ、大学時代のわたしなんです、とは打たなかった。

 

今日のデートは突然飛び込んできた。知り合いからの紹介だ。

 

いい人なんだよと送られてきたとき、わたしは、コンビニで見つけられる愛こそが本物なんじゃないか。と、思ってはじめた恋が終わったところだった。いままででいちばんインスタントで、なのに心に刻まれてしまった。

いつだってぼんやりと今じゃないところを見ている。

(実はね、大学4年間も初恋の人のことを心の中に飼っていたんです。その隙間にボーイフレンドの君はいたの。こんなこと言ってごめんね。だけどふいに思い出すんだ。君はもう結婚とかしたのかな。仕事は元気?君と別れて、コンビニと、この部屋に越してくるとき、バカでかいベッドを買ったのよ。君とはベッドが狭すぎたから。でももう、2人での眠り方は忘れてしまった。女友達を泊めるときは役立ってる。なんせ男と2人で寝てもひろびろだからね。)


付き合ってた時、本当に君のことなにか考えたこと、わたし、あったかな?


わたしの小説、初めて書いた小説。
あれは全部嘘だ。
あんな瞬間一度もなかった。
それを書いた。あたかも存在したかのように。


だって、君とのこと、一つも演劇にできないの。「それでも好きだったんだ、たぶん、きっとね。」そのセリフを書くのに、もうどれぐらいをついやしてるの?わたし、傷つけられなきゃ好きと思えない。好きと思えなきゃ芝居にできない。でも失望するのと傷つけられるのはちがう。君には失望ばかりでした。でも、その差ってなに?

このあいだ、寺山修司が原作の映画を見た。

「この小説はモダンジャズのスタイルで書いた」

何いってるのかなと首を傾げて、そのあともう一度その小説を読み直して、それでも分からなかったのに、書いてはじめて理解した。

モダンジャズだった。
小説は即興であり、どこまでも自由。
そして、

わたし、小説書いてはじめてわかったよ。
わたし、きみのことも大好きだった。

 

なにも起こらない平坦な、ドラマのない生活は、わたしの書く演劇にならない。だけど取るに足らない出来事が積み重なって、きっと人生はつくられる。ありふれた出来事にほんの少しの差異を見つけて、それを大事にあたためて。そうして人間はお互いを、お互いをの唯一無二にするんだ。

 

いままで演劇にしてきた男たち。最高にドラマティックなわたしを傷つけた男たち。LINEのメンバーをスワイプして、てきとうなところで画面を切る。
過去のリサイクルはやめて。
新しいガムを噛みにいく。

 

その前に少しだけ、筆を進める。

 

20才の誕生日に、ボーイフレンドのくれたANNA SUIのルージュを筆で塗る。塗りながらパソコンの画面に向かう。

わたしが「いま」何を考えてるのか。
それを画面に刻み込む。

 

だってね、デートなんかに行ったら、忘れちゃうかもしれないでしょ。もしかしてすごく素敵な人で、なんだかすべてが薔薇色になって、いま考えてること全部、どうでもよくなっちゃうかもしれないでしょ。わたしはいっつもそうだから。いつもそうやって忘れちゃうから。

 

だから、いま書き留めておく。
オチは考えない。
瞬間だけを、キーボードで打ち付ける。

とびきり自由なモダンジャズ

 

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ごめんねモダンジャズ(寺山修司の言うとおり) - にんげんはかんがえる葭である

の数年後のモノローグ。劇作家の女の子のおはなしでした。

前編はこちら

(noteからの引用)

note.mu

 

ごめんねモダンジャズ(寺山修司の言うとおり)(小説・前編)

「初めて小説を書いてみて気がついたけど」

と、彼女は言った。

寺山修司が言う通り、ありゃモダンジャズの手法だね」

 

そういうと彼女・橘文穂(たちばなふみほ)は抹茶ラテをすすった。

埼玉の地は寒冷だ。池袋から電車で20分。降り立った瞬間少し驚く。乗車時間からすると、ちょっと信じられないぐらい、芯から冷える厳しい大地だ。そしてその遥かなる武蔵野には、大した喫茶店がない。いや、正確には一軒だけ、先月出来たばかりの、駅前のスターバックスがある。電車でたった20分。池袋に行けば山のようにあるスターバックスが、おらがまちに。武蔵野の民は大いに喜び、スターバックスには長蛇の列ができたそうな。めでたしめでたし。そんなわけで、見事スターバックスからあぶれた僕らは駅から少し先の大学のカフェテリアで、学食にしてはおいしいコーヒーを飲んでいるところだった。

 

寺山修司が言う通り、小説っていうのはモダンジャズの手法が許されるんだよ。これはもう、演劇を描いたことのある人間だけがわかることだね。小説と演劇の作り方は全く違う。もう、根本から違う。」

「そうなの?」

「そうだよ!もうびっくりだったよ!」

と、彼女は机を叩いた。

「わたしさあ、こんな感じだけどさあ、」

お、くるぞ、と僕は思った。彼女が急に可愛い顔をし始めるのはその合図だ。予想の通り、10分ほど、彼女は自分がいかに可愛いかについて話し始めた。

 

ここで説明しておくと、彼女は、まあまあ、可愛い。贔屓目で言うと、めっちゃ可愛い。肌は白いし(日焼け止め塗らないから手だけは黒いけど)、目は黒目がちで(小さいからだけど)、くちびるは小さく口角が上がってる(あれここはディスるとこがないな)。それから何と言っても表情が豊かだ。ピンクの口紅を塗った唇がせわしなく動くたびに、小さな瞳がメリーゴーランドのようにきらめいた。でも、

(なんで全部自分でいうかなあ……)

僕が思わずため息をついたのをみて、彼女は話を切り上げた。

 

「ま、そんな感じだけど。」

「うん。」

「わたしさ、演劇はガチじゃん。」

 

そうなのであった。

みなさん、ここで改めてご紹介しておくと、この彼女・橘文穂(ふみほ)はなんと、現役の「作家」なのです。え、すごい、本屋に売ってるんですか?と聞きたくなる読者のみなさんごめんなさい。彼女の本は本屋では売っていない。というか、本として読めることはほとんどない。じゃあ雑誌ですか?それも違う。同人誌?少し近い。じゃあネット?いや、ネットでも無理。じゃあ作家って一体?

 

そろそろお判りいただけただろうか、そう、彼女の文章は、劇場に行かないと見ることができない。橘文穂は、作家は作家でも、演劇の脚本を書くのがなりわいの作家なのでした。

 

僕がここまで説明できるようになったのは、この大学で彼女と4年間を過ごしたからだ。文芸サークルの同期。彼女は演劇研究会との掛け持ちだった。初めてデートに行った時(僕はデートだと思っている)、「蜷川幸雄ってだれ?」と言って、烈火のごとく怒られた日々が懐かしい。何にも知らない僕と、演劇が大好きな彼女。そこから少しずつ、一緒に観劇にいくようになって。そうしてついに、彼女の創る作品を見るようになった。それが二年前。

 

「わたしさ、書く内容は社会派っていうの?割と重めの題材に、真っ向から挑んでる感じじゃん。それはさ、演劇ってぜったい社会を切り取ったものだと思ってるからなんだ。わざわざお客さんが、遠くから、劇場に来てくれる。俳優と一緒に同じ空気を吸って、吐く。吐いた空気は劇場を包む。演劇は必ず、お客さんと俳優の息が混ざった空気の中で、進んでいくんだよ。」

「うん。」

「だからわたしは、できるだけわかりやすい話にしたくて。だってむつかしかったらさ、お客さん、置いてかれちゃうじゃん。お客さんと俳優が同じタイミングで息が吐けて、初めて演劇の意味がある作品になると思うんだ。だから、わたしはお話を書くとき、こう、【起承転結】のある・・・」

 

と、そこまで言って彼女は言い淀んだ。

 

「どうしたの。」

「あのね、そういう、わたしの書いてるみたいな起承転結のわかりやすい話ってね、【古典的】って言うんだって。」

「古典的?」

 

と、尋ねると、彼女は勢いよく、これまでの演劇の歴史やら、今の演劇のトレンドやらを話し始めた。まとめると、起承転結のあるわかりやすい演劇が芸術的と評価されたのは90年代までの話で、最近の演劇では起承転結のわかりやすいものは「大衆的」として評価されずらい、との事だった。

 

「でも、なんで起承転結があるだけで、【大衆的】って言われるのかわからなくて。そもそもどうしてわたしの作品が【古典的】と言われるのかもわからなくて。というか【今の演劇らしい演劇】ってなんなのかぜーんぜんわからなくて!ずーっとずーっと考えてたのね!でも!」

突然彼女が叫んだ。

 

「小説を書いて、わかったんだよ!」

 

そういうと彼女はさましてあった抹茶ラテを一気に飲み込んだ。日焼け止めを塗らないから顔よりも幾分焼けた短い喉に、僕よりも控えめな喉仏が波打つのが見えた。そしてマグカップを元気よく机に叩きつけると、彼女は大きく息を吸う。目がキラキラと輝き始めている。唇が元気よく弾み出す。

 

「90年代までの演劇って、いわば正しいセオリーがあったのね。それは舞台上に、関係性を説明するためのいちばんふさわしい会話を持ってくる、ってやり方なの。」

「ふむ。」

「たとえば、お互いに好きだけど付き合ってないおさななじみがいるとするでしょ。漫画だったら、モノローグで「私たちの出会いは幼稚園の時…」なんて説明したくなる。でも、ダメなの!その二人のこれまでの歴史を説明するためには、二人に会話をさせるの!」

「たとえば?」

 

「なおちゃん、部活どう?」

 

と、いきなり彼女はセリフを言い始めた。即興劇、いわゆるエチュードだ。負けじと僕も頭をフル回転させる。

「うんまあまあ」

あたりさわりの無さすぎる返事だが、これでいい。エチュードの極意はいかに話さず、いかに相手に話させるかだ!

「なんかさー、強くなったよね。うちの野球部。」

ほら、僕が喋らずとも、代わりに彼女が設定を出してくれる。

「そうかな」

と、僕は頰をかいた。いいんじゃないか?久しぶりのエチュードにしてはいいんじゃないか?!

「なおちゃんもさ、小学生の時はほんと・・・」

と、そこまで言って彼女は口をつぐんだ。僕は顔を覗き込む。彼女の閉じられた唇はわなわなと震えている。僕は、お、来るな、と、直感する。そしてその瞬間、彼女の唇は堰を切ったように動き出した。

 

「ね〜〜〜!これなんだよ!今、私たち何にも自分の感情、言葉にしなかったでしょ?でもわかるでしょ?このセオリーに乗っ取って、わたしは演劇を書いてきたわけ!」

「な、なるほど」

「起・承・転・結を、モノローグを使わずに、どうやったらいちばんふさわしい会話に起こせるか!それが演劇だって思ってるの私は!」

「じゃあ、最近の演劇は、会話が少ないってわけ?」

「そうじゃないの!最近の演劇は、小説と一緒なの!」

「え?」

モダンジャズなの!どれだけでも自由なの!」

ようやく本題に入れてご機嫌な彼女は、歯を見せてニコッと笑った。

 

寺山修司が言う通り、小説っていうのはモダンジャズの手法が許されるんだよ。1人称でもいいし、3人称でもいい。急に時間が飛んでもいいし。いろんなことを一言で説明しちゃったりもできる。急にポエム挟んで、世界観グッと広げたり。これは、あくまで会話だけで進めなくちゃいけない旧来の演劇とは全然違うわけ!もう、根本から違うの!それを今の演劇はやってるの!」

 

と、一気に話すと、彼女は少し落ち着いて、空のマグカップを握りしめた。

「わたし知らなかったんだ、そういうこと。なのに人からヤイヤイ言われるから、【今っぽい演劇】の何がいいのって、勝手に敵対視してた。本当に、本当に自由なんだね…。」

 

彼女は嘘はつけない。いや、正確には、「演劇」には嘘がつけない。心底そう思っているのだろう、清々しい表情を見て、僕はなんだか微笑んでしまった。

 

チャイムが鳴る。カフェテリアも閉まる時間だ。僕は2つのマグカップを持つと立ち上がった。

「そろそろ行こっか。」

「あのね!」

僕は振り返る。彼女は、彼女が持つには重すぎるだろう僕のPコートを持って、もじもじと立っていた。

「どうしたの?」

「むかしね、初めてサークルで会った時、君が書いた小説、読ませてくれたでしょ…?」

「う、うん。」

「あの時…。この小説、起承転結も会話も無い!小説失格!って言って………ごめんね。」

 

カフェテリアの入口があく。強い北風の合間をすり抜けて、彼女がテラスへ出た。スカートが翻る。ストールが舞う。ああ、そうだったなと僕は強く思い出す。初めて会った日も、そうだった。嘘みたいに寒い4月のはじめ。文芸サークルの最初の会合。僕の作品を読んで、小説失格!と言い捨てた彼女は、会の終わりに僕だけを呼び止めて、テラスの外からこう言ったんだ。

 

「ね、今度は一緒にスターバックスに行こう!」

 

僕の唇はゆるむしかない。君の唇はどうなのかな。

おらが村のスターバックスで。今度はとびきり自由なモダンジャズを書いてみよう。

 

 

 

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後編は

ごめんねモダンジャズ(寺山修司は嘘つかない)(小説・後編) - にんげんはかんがえる葭である

(noteからの再録)

note.mu

 

バッサーニオを聞きながら(小説・舞台俳優・ガチ恋)

もしかしたら今日、憧れの人に出会っちゃうかも。
と思いながら、家を出た。
書を捨て、街を歩き、
そして劇場へ行く。
当日券が無いことは知っている。



「あの、この劇場って、24歳以下の割引システムがあるって聞いたんですけど……」


と、受付の人に言うと、


「ちょっと待ってくださいね」


うん、それが聞きたかったの。


奥に引っ込んだ受付の人の背中を見ながら、ありがとう、できればとっても手こずって、と少し念じた。


もう上演が始まった演目は、なんでか知らないけど、マイクを通してロビーに音が響き渡っている。
なんでなんだろうな。劇場ってみんなこんな感じなのかな。あ、もしかして今、受付の人たちは休憩時間なのかな。お客さんが入って、開演のブザーが鳴って、暗転して、俳優が舞台に立つ。そう、そこまでがスタッフのお仕事で。そこから1時間ちょっと休憩。コーヒーでも飲みつつ歓談してたら、「あ、いま、舞台の上で「バッサーニオ!」って言ったよね、死んだよね。」「あーそろそか」「はーい、あと10分で休憩入るんで、みなさん位置についてください」とか言われんのかな。
ロビーでしばし佇む。興味のないチラシを指でめくる。誰に見せるわけでないイヤリングで耳が痛む。


と、声が聞こえた。
確かに、膜が震えた。
スピーカーをみた。響き渡ってる。ロビー全体に鳴り響いてる。大きな声で、ちょっと怒ってる、ううん、ちょっと泣いてる?
ねえ、好きな人の声だ。
「好きな人」と、マスクのなかで口をパクパク動かしたら、はじまってもいない恋がリズムをつけて跳ね始めた。
好きな人は、舞台の上にいます。



あの、あのね、ちょっとだけダサいことを言うと、まだ「好きかも」なんですよ。
演劇って見たことなくて。しかも高いじゃないですか。むつかしそうだし。わたし年収高くないし。出せないですよ、そんな簡単に。だから今日確かめに来たんです。あの人が本当か確かめに来たんです。あの人が、画面の中のあの人が本当に俳優なのか。


こんな風に思うのは、こないだあの人が週刊誌に撮られてたからです。どういう内容かはネットで読んでね。わたし、その記事見たとき、「あー、週刊誌に撮られるぐらいには頑張ってるんだー」って思ったんです。頑張ってるんですよ、あの人。だってどうでもいい人なんて、みんな、どうでもいいでしょ?駅前で絡み合ってキスしてるどうでもいいカップル、撮らないでしょ、誰も。だからね、全国のどこにでも置いてあるあの雑誌の、ザラザラの紙に載れるだけで、すごいんです。選ばれた人なんです。本当に頑張ってるんです、あの人は。


そんなことを思いながらわたし、スワイプして、つぶやきました。


「週刊誌見たけど。普通撮られるかね。ああいうの本当にダメだと思うの。だってさ、真面目にやってたら、そんな不手際わかるわけないじゃん。あのさ、わかるのがダメなの。わからせないようにすること含めてプロでしょ」


100個ぐらい、「いいね」がつきました。


普段と違うケータイの震え方に一喜しながら、ふと、気がつきました。「いいね」欄に並ぶ、みんなのアイコンに。みんな、あの人の顔でした。あの映画の時のあの人。あの雑誌の時のあの人。共演者がインスタにあげてくれた時のあの人。あの人、あの人、あの人!…あの人の顔ばかりでした。


あー、なるほどね。この人たちみんな、あの人のことが好きなんだ。アイコンにしちゃったりね。あの人の苗字と自分の名前組み合わせちゃったりしちゃったりね。うん、わかる!あーわかる。超超わかるし、ほんとマジで


馬鹿か?
馬鹿なのか?お前ら全員。いやていうか馬鹿でしょ。え?なんでそういうことできるの?お前、自分の顔、鏡で見たことある?お前、そんな田舎に住んでるの恥ずかしくないの?お前、ネットに転がってる動画見ただけだろ?どうしてあの人の写真使えるの?どうしてあの人の苗字名乗れるの?どうしてあの人のこと「好き」とか言えるの?痛くてキモくてブスなお前らが、どうしてあの人に近づけると思うの?何を?何を考えて?何を?どうして、ねえ!
お前らみんな死んでしまえ!!!!!


気がついたら全員のことブロックしてました。



「あ、割引なんですけど、5階のチケットセンターでできるので、そっちの方に行っていただけますか?」


受付の人にそう言われて、軽く会釈をした。
できるだけゆっくりと踵を返す。
ロビーにはまだ、あの人の声が鳴っている。
今度は笑ってるね。でも少し泣いてるの?


わたしね、心配なの。赤ちゃんみたいな君が。子供みたいに素直な君が。パパとママに愛されて、すくすく育った君が。どうしたらずっとその笑顔でいてくれるのか。
週刊誌、怖かったよね。ネットでいっぱいひどいこと言われて、傷ついたよね。守ってあげられなくてごめんね。君のこと、本当に大切なのに…わたし…。


わたしね、隠してくれたら許してあげられるの。ううん本当はもうね、許してるの。全然なんともないよ。わたし、何があっても、ずっとずっと、君の味方だよ。だから今日確かめにきたの。本当に君がちゃんとしてるのか。本当に一生懸命なのか。本当に俳優なのか。本当に頑張ってるのか。本当に、本当に、本当に、本当に…!


ほんとうに君が存在するのか。



「バッサーニオ!」
と、ひときわ大きな声が響いた。
受付の奥がにわかに騒がしくなる。
「あ、「バッサーニオ!」きたね」「今日もいい死にっぷりだね。」「あーそろそろか」「はーい、休憩入るんで、みなさん位置についてください」


慌ただしく動き出したロビーと、スピーカーから鳴り響く拍手。
君が受けている拍手。あの劇場の奥の扉に、君はいま、存在している。
いま君は舞台の上で、どんな顔をしてるのかな。



帰り道で、朝捨てた週刊誌を拾いなおした。
書は捨てるならゴミ箱へ。
そう思いながら、なぜか、わたしは、きちんとそれをカバンにしまった。
もしかしたら今日、好きな人に出会っちゃったかも。
私の好きな人は、俳優。「バッサーニオ!」って言って死ぬ、俳優です。

 

 

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ガチ恋の女の子、初めて世田谷パブリックシアターへ行く、の巻でした。

(noteの再録)

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滝沢カレンと演劇とカフェ(11/25の日記)

昨日、稽古場近くの港区のビジネス街のカフェで台本書いたら、アホみたいにすらすらとかけてしまった。まわりが仕事してる人だらけのカフェってみんな集中してるし。あと人がいると一つ一つのセリフに良い意味で執着しないから、書くのが早くなる。土日でみんなが仕事してる街ってどこなのかな?って思ったけど、それってかなりHELL(地獄)だな。

 

わたしはセリフを口に出しながら書くので、口になじまないと絶対に自分の中でOKを出さない。そういうクソめんどくさい病気にかかっていて、だから人がいる場所だと音読しなくなる(できなくなる)ので、そのぶん進みが早くなるのだった。だから、知らない人がいっぱいの方がいいのだと気がついた。


昨日、新作に出演してくださる女優さんに、すっぴんでも肌がきれい!と褒められた。単純にサボって稽古場に来ただけだったので、めっちゃめっちゃ嬉しかった。

へへ…おれはもうファンデーションぬらないぞ…へへ…日焼け止めはがんばってぬるぞ…クソめんどくさいけど…へへ…という気持ちになった。

そして帰り道。浮かれてJJを買ったら、付録がなんと、ブツ撮り用厚紙だった(最高)

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台本してると爪を噛んでしまうので、かわりにマニキュアをして、それをはがすことで爪を守っている、わたしの今日の病理。

 

あとわたしは滝沢カレンちゃんさんが好きなので、大衆居酒屋にカレンちゃんさんが居るというリアルだったら浮きまくってヤバいだろうなというシチュエーションの写真を「彼と一緒のはじめましてDAY♡」というタイトルで平然と載せるJJのこと大好きになった。というかもはや写真の時点で浮いていた。綺麗すぎるよ横顔。こんな美女が大衆居酒屋にいたら大変だよ。

 

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あと新連載で滝沢カレンちゃんさんのコラムがはじまったんですけど、頑張っていて、美しくて、きちんと仕事をしている、若い女の人が、仕事をふくめた生活をしてるだけで、国に帰れって言われるんだ…と思って、彼女はサラッと書いてるけどとても悲しい気持ちになったよ。

 

そんな感じで目覚めた今日。わたしが欲しい場所がわかってしまった。

決まったカフェを見つけて、女の子たちとあつまって、それぞれちがうことをしながら、休憩したくなったらおしゃべりして、ハーーーとか言いながら台本を書きたい。

あ、これ、中学1年生のときのテスト前に友達とあつまって勉強する感覚と一緒。

わたし、ずっと中学校の悪口を書くことが台本を書くモチベーションだったけど、思い返せば楽しかったかも、と今日初めて思った。

思い出は美化しよう。苦しい時に書けることと、美化してから書けること。違うから面白いよね。

 

ところで新作の話だけど。今回は、演劇と、ガチのシスターフッドがテーマ。というかね、詳しくは新作に書いてるんだけど、本当、知らなかったけど、演劇ってたのしい。楽しいんだよ。この驚きと発見を新作に書くためにカフェにきている。

いや本当に知らなかったから。びっくりだよ。みんなにも教えたい。超楽しいよ!

 

そんな感じ。

それではまた!

 

 

お知らせ

 

はてなツイッターと、noteの再録場所にしようと思ってます。

ツイッターではおしゃべり気分で更新して、ツイ消し、それにちょっと少し追加修正して、不定期にこっちにアップロード。

noteでは、まいにち小説をアップ(まだ5日目だけど)こっちにも載せるね。

はてなを畳むことも考えたけど、ここはここで独特の文化で面白いから、続けます。

ではね!

 

よしもとみおり

 

twitter.com

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正しい演劇などない、ただ「萌え」と「地雷」が存在するのみ

昨日、ひょんなことから、本谷有希子×飴屋法水×Sebastian Breu×くるみ『 』を観てきました。
今年いちばんの演劇体験でした。

 

本谷有希子さんを知ったのは、中2のお正月。

その年のお正月のいちばんのニュースは、親戚の漫画家のおじさんが、映画にイラストを提供するよ!ってことでした。

忙しいからお正月のあつまりに来れなかったおじさんの代わりに、大叔母さんが言っていて。

チラシにバーーンとおじさんの絵が載っていて、すごい!かっこいい!と思ったのを覚えています。

その映画が「腑抜けどもかなしみの愛を見せろ」でした。

f:id:ysmt30:20070802223548j:plain

 

10年経って、ようやく生の本谷有希子を観ることができました。

 

わたしは、言葉が苦手です。

「言葉を使う職業をするんだったら言葉をもっと信用しなきゃいけない」と怒られたこともあるんですけど、やっぱり言葉が苦手です。

愛してるとか絶対ウソだし、絶対は絶対無いし。なんでみんな軽々しく言葉にできるんだろう。

 

それから、言葉は不完全で、言葉にしたらその瞬間自分にだけしか分からない新鮮で微妙な感情も、陳腐になってしまいそう。それできっと齟齬が生まれて、生まれた齟齬で攻撃される。

 

様々な側面から見てもやっぱり言葉は信用おけないものだ、という不信感を、言葉のスペシャリストの本谷さんに肯定されて、すごく安心しました。

 

 

「個人的な作品はおもしろくない」「半径3メートルの話は自己満足」というような誰に言われたかも覚えてない自己批判みたいなものがあって、

 

あのとき、これを書いた人26才なのかあ、って印象だったんですけど、今のわたしはあと3年でそんなふうになれるかな、ならなきゃな、と26才までにやれることをやりたいなと思いました。

 

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ということを、去年の夏、書いてました。

すげえ、今と言ってること180度違う。

言葉が不確かだって?

ありふれた身体論を自分の意見みたいに言うのやめろよ!

肉体がいつ自分の言う事を聞いてくれたよ!

ちなみにわたしは一度もないよ!

経験にまさる実感なし!

わたしは確実に感じてる!

肉体は不確か、しかし言語は確か!

なぜならば、言葉とは文字の上に書き留められた、

ないしは、口唇を通して描かれた「形」だからだ!

書きとどめられた時点でそれは完全な公正さを失ったただの「形」だ!

だからこそ「確か」なのだ!

揺るがすことのできない一個の完成形なのだ!!!

 

 

こんにちは、よしもとみおりです。

いま、上に書いたようなことをガチで感じています。

でも、「感じる」って、「肉体が感じる」って、なに?

来年の私は、今日の私のこの圧にゾッとしてるでしょう。

「え・・・何言ってんの・・・きも・・・」って言ってることでしょう。

 

そう、人間は変わるんです。

正しくは、人間の「知覚」は変化するんです。

 

ということで今日のお題はこちら

 

正しい演劇などなく、ただ「萌え」と「地雷」が存在するのみなのではないか問題

(イェ~イ!!!)

 

突然ですが、わたしは最近、自分のやってる演劇のスタイルに名前をつけようとしています。

わたしの作品は、こんな感じなのですが、


少女都市「聖女」ダイジェスト

はい!ダイジェストだからちっともわかんないね!

 

すごく丁寧に解説をしてくれたお客さまのブログがあるのでそちらを貼っておきます。

感謝。

 

余談ですがわたしは説明がクソへたくそなので、それを改善するためにも、ブログを書いています。(皆さんのほうがよっぽど、きちんと説明してくれる…)(感謝…)

 

はい、どうでしょうか。

多分読んでくださった方とそうでない方がいらっしゃると思うんですが、とりあえず読まなくてもわかることを言います。

 

あらすじめちゃめちゃ立て込んでる。

 

そうです、めちゃめちゃ立て込んでるんです。

 

 

 

 

はい、自画自賛ツイートの紹介はもうやめなさいって感じなんですが、とりあえずわたしの作品の特徴は、

5分に一度事件が起こる

人間関係立て込みすぎ

えっそんなところに伏線が?

 

↓複合すると↓

 

豪華キャストでお送りします!90分の社会派サスペンスドラマ!制作は80年代の角川映画かな?!?!?!

って感じの作品なんですよ。

 

こういうタイプの演劇、おそらく皆さんがイメージする「いわゆる演劇」に近いと思うのですが。

実はこういう演劇をやってる劇団って小劇場では少なくなってるんですね。

(当社調べです・石投げないで・ちがうよ!って場合はお友達になりたいから御連絡して…)

 

 

ここでいうクラシックとは、けしてクラシックバレエの持つイメージを指しているわけではありません。

そして「演劇である必要とは?」というのは、演劇である理由を聞きたいんじゃありません。

すでにやりつくされたジャンルをやるのって、意味があるの?って言われてるんです。

ひえ~(当社調べです・石投げないで・ちがうよ!って場合はお友達になりたいから御連絡して…)

 

たぶんこれを言われたのは数回なんですが、わたしはもうそういったことに対する根性がやばいので、ず~っとこれを根に持ってたわけなんですが。

 

でも、本当に、わたしの作品って、やりつくされたジャンルなのかな?

 

ということを最近感じてきました。

だって、それを言ってる人は別にソースだしてくれないし。

他の人に「○○さんの作品に似てるね」とかも言われたことないし。

 

はっ・・・

えっ・・・・

気が付いたけど・・・

え、もしかして、それを言った人がそう感じたのって・・・

もしや、わたしが作品の中でずっと取り上げてる「アレ」のしわざなんじゃないの・・・?!

あやふやな人間の「知覚」による仕業なんじゃないの・・・・?!?

 

はい、最初の話題(本谷有希子ではない)に戻ります。

 

腐女子の世界にすごい言葉がありましてね、

「あなたの萌えはわたしの地雷」

これは読んで文字のごとく、人の多様性をあらわしている言葉です。

あなたが「すてき!」と思った表現も、わたしにとっては「無理!」なこともある。逆もまたしかり。標準というものは存在せず、人間の感じ方は十人十色で人それぞれ。・・・。

 

えっ演劇もそうじゃない?

 

だって、腐女子と同じように、演劇をやっている人のほとんどは、自分たちのお金で検閲を通さずに、自分たちの好きな話をやってるわけです、採算度外視で。

それって利益を出すためじゃなくて、本当にやりたいから自分の書きたい男同士の絡みをかいてる腐女子と一緒じゃない?

演劇ってもしかするとコミックマーケットじゃない?!

 

「あなたの萌えはわたしの地雷」なんじゃない?!

 

そう考えると、こういうツイートも、もっと素直に書けばいいんだよね。

 

ポリコレとかは置いといて!ごめん地雷だった!

実は上に書いた本谷有希子飴屋法水作品も地雷なとこあった!(なぜ地雷だったかは個人的に聞いて)

観劇のお誘い断るときもだいたい地雷な感じするからだった!

てか「萌え」にたどり着くことの方が少なかった!

今まで観た芝居の8割が地雷だった!

それでも自分にとっての最高の「萌え」を見た瞬間が、何よりも楽しくて、うれしくて、感動で胸がいっぱいになって、そんな「萌え」をわたしも創りたいから、演劇をやっているのだった!!!

 

 

はい、答えが出ましたね。

作品のジャンルがどうとかは置いておいて、わたしは、自分が心震えたような「萌え」を創りたいから、演劇をしているのでした。

 

これから、あともうちょっと、自分の作品を形容する言葉を探し続けます。

そんな感じでうるさいけど、よければツイッターおつきあいください。

ではね!

読んでくれてありがとう!

あいをこめて。

 

よしもとみおり

https://twitter.com/yoshimoto_miori